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厳しい父と優しい父 アジサイの広場
たば星人あころ中2

 父が父でなくなっている。父が父の役割を果たしていない。家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えるという父の役割が消えかけて
いる。父でなくなった父の典型が「友達のような父親」である。彼らは、上下の関係を意識的に捨ててしまった。価値観を押しつけることは、絶対にしない。子供の自主性を重んじて決して強制はしない。何をするにも自由放任である。「友達のような父親」はじつは父ではない。父とは子供に文化を伝える者である。伝えるとはある意味では価値観を押しつけることである。自分が真に価値のあると思った文化を教え込むのが父の最も大切な役割である。上下の関係があり、権威を持っていて初めてそれが出来る。しかし対等の関係では、文化を伝えることも、生活規則、社会規範を教えることもできない。「物わかりの良い父親」は父の役割を果たすことの出来なくなった父と言うべきである。 

 確かに、厳しい父親も大切だと思う。それは、はじめから社会のルールを知っている子供などいないのだから、父親が厳しくないと子供がやってはいけな
いことを平気でやってしまうようになるからだ。平気でそのようなことをやるようになった子供の行く末が、少年犯罪だと僕は思うのだ。だから親は、子供をしっかり躾して社会のルールを教えることが大事だと思う。 

 しかし、父親は優しい方がいいという意見もある。それは、厳しすぎるとそれだけでびくびくして、何もしない人間になると思うからだ。何もしないと、
おこることも出来ないからまたもや、社会のルールを教えられなくなる。そんなバナナ(古い?)と思うかもしれないがその可能性がないとは言い切れないと思う。 

 確かに、厳しい父親や優しい父親も良いが、大事なことは厳しいか優しいかではなく「社会のルール」を教えられればそれでよいと思う。要するに厳しい
ときと、優しいときの区別が出来る父親がいいということだと思う。                          
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