先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
あだなとゆうもの オナガ の広場
モモ あとれ 中1 わたしは、あだなというものは、良いと思う。その理由は2つある。1つめは、あだながあるといつでもどこでも親しみやすくなるからだ。(お葬式とかは ぬかすんだヨ)「あなたのことなんてよべばいい?」とか、「私の事は、ooってよんでね」とかあだなのことで会話がつくりやすくなる。たとえばわたしは 、……塾ではじめてあったつるみふみやちゃんとはなしがしたいなと思っていたんだけど同じ学校でもないし会えるのは塾しかないのでもうあきらめかけて た。でも中学入試に合格しておんなじクラスになったときはすごくうれしくてしかも出席番号で麻理のつぎですぐに「なんて呼べばいい」と聞きいまでは家 も近いし、帰りも一緒に帰ってこれはもう神様がくれた絶好のチャンスとしかいいようがない。というわけだ。(ちなみにあだなはふみちゃんだ。)  

 2つめは、あだなをつかわずに本名でよぶとかえってごっちゃになるということだ。私の場合、江夏舞(こうかまい)と藤原舞(ふじわらまい)っていう
友達がいて、まいちゃん、まいちゃんとよんでいるとごっちゃになるので江マイ、藤マイとよぶことにした。おかげで聞き間違いなどもなくなって良かった とおもっている。  

 しかしなんでもかんでもあだなでやると困る事がおきてくる。それは、電話だ。例えば川田朋枝ちゃんは私の友達だ。朋枝ちゃんはふだん「タマ」とよば
れている。(なぜかというと、3丁目のタマがすきだから。)でもタマのうちに電話するとき「朋枝ちゃんいますか。」と言わなきゃだめだけど、うっかり

「タマいますか。」といってしまうとタマのお母さんに「だれですか。」とききかえされてしまうので要注意したほうがいい。
 

 たしかに、あだなでいやだと思うこともある。(わたしがゴリラと言われてるのとおなじように)でも名言にもあるように「一人の敵も作らないものは、
一人の友も持たない」を見習って(?)あだ名のような使い方によっては、人を傷つける可能性のあるものをうまくつかうことによって、私たちは、より深 い友達関係を作れるのではないだろうか。  

 
 

 
                                               
ホームページ