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清書:神様の試練(清書) イチゴ の広場
有貴 いおし 小5 僕はこの話の人のように、あまり人のいない外国の、流れるプールでおぼれかけた事がある。そしてそのとき、まるで記憶喪失になったかのように頭の中が 真っ白になった。そしてはっとして周りを見てみて、おぼれている事に気づいてお父さんやお母さんたちを呼ぼうとしてすごくたくさんの水を飲んだ。この 話の人も流されている時、同じような経験をしたことだろう。  

 「水に流されて死んだ子の話が、頭の中をかすめた。」と言うのは自分がそうなるかもしれないと言う不安の気持ちから思い出した事なんだと思う。
 

 その気持ちは僕にはよくわかる。自分も似たような経験をした事があるからだ。けれどそんな中でも冷静になって生き延びる方法を考えたのはすごい事だ
。もし僕ならそんなに冷静にははなれないはずだと思う。       

 「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか・・・流されている私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ。」と思った
 

 と言うのは,必死のすえに考えついた事だと思う。僕はよく必死な時にこんな事を考えついたなぁと思った。この事を思ってた事によってこの話の人は、
一定の位置にとどまらずに自分のペースでどんどん変化して、その変化を利用して自分の理想を目指すようになっていったと思う。そしてどんどん理想を目 指していると思う。これをことわざに例えると「怪我の功名」とか「禍転じて福となす」とかそういうような事なんだと思う。  

 おぼれるなんて禍のように思う事も冷静になって考えると、神様が与えた自分が成長するための試練なのかもしれない。そして僕達その試練を超えて成長
していくんだと思う。                                                
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