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清書:清書 アジサイ の広場
ひまわり あなつ 高2 その昔、サングラスは世間から少しうしろめたいところの、ある人がかけるものと  

 考えられていた。当然ながら周囲からそれらしい目で見られる。つまりサングラスをかけて町を歩くためには、常にその種の視線を予定しなければならず
、その中で平然としていられる心構えが無ければならなかったのである。しかし今はもうそんなことはない。「隠れているな」という関心をひかなくなった ぶん、よりさりげなく隠れる事ができる様になったのかもしれない。  

 ☆サングラスとは、ご存知のように、目を隠す役割がある。そのようなサングラスの例をあげ、筆者は、「目と目の会話の大切さ」を伝えようとしている
のだと私は思う。さて、では「目」というものは、人間にとってどのような物なのだろうか。もちろん、様々なものを見る役目を持っている事はいうまでも ないが、他にも大事な役目をもっていると私は思う。小学校五年生の時、担任の先生に、「先生の目を見て話しなさい。」と、怒られた。その時その先生の 一生懸命な目がどうしても見られなかった。目を見て話し始めると、先生の言っている事が全て私のからだ中に入ってきて、先生に私の心の中を全て見られ ている気がしてとても不思議な時間がながれた。その時から段々と私は、人の目をみて話すことの大切さが分かってきた。  

 ☆つまり「目」というのは、人の心と心を通じさせる大事な通り道なのだ。目と目を見て話すこと。これは要するに相手を深く理解する事なのだ。最近で
はこれが行われる事が少なくなってきているのではないか。ちゃんとした親子でさえ、家であっても会話といえないえ会話をかわすだけで、目と目をあわさ ない家庭なんてざららしい。こんな事は昔では考えられないだろう。それだけ今の社会は人と人とのつながりというものが、薄れているのである。これはや はり目まぐるしく動く忙しい生活や、様々なものの発展に大きな関わりを持っている。時間におわれる者も増えているし、自動販売機や自動改札機などの普 及で人と接する機会がまず、減った事が原因の一つだ。  

 ☆確かにこの日本全体の発展によって人と人との関わりが減ったのは事実である。しかしそんな中でも人間として一番大事なものを見失ってはいけないの
である。サングラスをつけて歩く人が普通である世の中は、見失いかけている証拠である。人はいつどんな時でも、「目」と「目」でより沢山の会話をしてい かなければないないはずである。  

 
                                               
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