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世界観を持つ自由 アジサイ の広場
あおき 高3 今、私は自由の中にいる。そしてその中の思想の自由であれこれと考え、言論の自由で自分の意見を明らかにする。人はそうして自由にあらゆる観点から物 を見、考え、物事を作り上げてきた。そこから出てきたものが科学であろう。しかし、それは本当に自由といえるのであろうか。本来持っていたはずの、初 めて見たものには心を驚かし、多くの不思議を抱えて生きていた自由を、我々は忘れている気がする。  

 自由な発想が生んだ科学は、物質の原子構造を明らかにし、多種多様な物を作り上げた。
 

 限りなく便利になった我々はそれに甘え、当たり前のように生活している。そして、与えられた情報を、自分の知っているものに変換するのみである。た
とえ科学が誤字を打ち出したとしても知らずにEnter を押してしまうようになってしまったのだ。だから、たとえ歴史を科学で解明するにしても史観がなけ れば分からないし、古文を読むにしたって、当時の常識や文化を知らなければ出来ないのである。だが、我々はその長所のみに捕らわれてしまい、そこから 広く普及したもののおかげで、幅広く増えた知識を暗記するだけでよくなった。考える力から、覚える力へと変わっていったのである。  

  我々は自由である。自由な発想から科学を生み、進歩させた。しかし、その生まれた科学は我々の自由を奪い、見る目を失わせている。それを解決する
のは、我々の英知と本来持っている自由にかかっている。そして、その自由こそ今必要としているものなのだ。  

 
                                                 
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