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時間と生活 アジサイ の広場
太一 あうけ 中3 人々が時間に追われるようになったのは時計が発明されてからと言われる。いつでも誰もが時計を所持するようになると、ついつい時計を覗く機会が増え、

「時の経つのも忘れて」ということが、次第に少なくなる。また、テレビの画面の隅に時刻が表示されるようになったことも人々が時間に追われるようにな
ってしまったことの一つである。しかし、人々の時間への関心は時間にとらわれないことではなく、時間の能率的な使い方に向かっているような気がする。  

 確かに、いまは分刻みで行動したほうがいい場合もあると思う。しかし、僕が朝、学校に行くまではほとんど時間には縛られていない。日によってはとて
もばらつきがあるが、だいたい7時ごろにおきて、8時になるまでに家を出れば学校に間に合う。決まっているのはただそれだけである。その中で、8時までほ とんど寝てしまっていた時もあったし、早めに学校へ行ったこともあった。このように、僕は電車などの時間に縛られる交通手段は使っていないために学校 の通学で時間に縛られることはほとんどない。この生活はほとんど時間を気にしないでいられるので、精神的にとても余裕がある。  

 しかし、いくら時間に縛られないことが良いとはいえ、ある程度時間に縛られなくては他人に迷惑がかかってしまうこともある。例えば人との待ち合わせ
のときに、時計を見ないでだいたいの時刻を推測して行ったら、とても遅刻していたということにもなるかもしれない。だから、まったく時間に縛られない 生活もいいかもしれないが、時と場合によっては時間を気にしながら行動することもあるべきだと思う。  

 時間を気にしすぎると、そのことだけに追われてしまい、生きている心地がしないが、場合によっては時間を気にして行動することもあってもいいと思っ
た。  

 
                                                 
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