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新しいものと古いもの アジサイ の広場
たば星人 あころ 中2

 ら抜き言葉は、長く批判の的になりながらも、次第に多く使われるようになったのであるのである。確かに、ら抜き言葉は手抜きである。しかしそれには
理由があった。では、日本語によって生きている物の一人として、君はら抜き言葉を、そうなった理由を認めるのか。こう問われるならば、答えは否。言語 というものはその本質においてうんと保守的なものである。そこで、そう簡単には言語多数決の原理だのを受け入れれない。いや、受け入れられないのだ。  

 要するに、古い「られる」と新しい「れる」は、「られる」の方が良いということだろう。つまり、この筆者は、古いものを大事にした方がいいといって
いるのだろう。(?)僕も、古いものは大事にしなくてはならないと思う。それは、古いものには古いものなりのいいところがあるからだ。それは、昔の人 の知恵や、風情があるなどのことだ。例えば、「乳母捨て山」という昔話がある。昔、Aさんの住む国では、「おじいさんや、おばあさんが年を取ったら、山 に捨てる。」という法律があった。しかし、Aさんは、おばあさんを捨てられずに床下に部屋を作って暮らしていた。それが殿様の、耳に入る。そこで殿様は 難問を出して、それを解けなかったら、おばあさんを殺すという約束をした。しかしAさんは、おばあさんの知恵を使って、その難問を破っていく。というお 話しだ。この話のように、古いものを大切にするとそこから何か収穫があると思う。  

 しかし、新しいものも大切だ。それは、新しいものが便利だからだ。例えば、例として、パソコンをあげてみよう。昔は、何でも手書きでヒーヒー言いな
がら書いていた作文も、今ではルンルン気分でかけている。しかも保存するのも簡単だ。こんなに、良い物を使わない手はないと僕は思う。  

 大切なことは、古いか新しいかではなく、それが使えるか使えないか(便利なのか、便利でないか)ということや、何かをそこから学習出来るか出来ない
かという問題だと思う。「経験は、最良の教師である」という名言があるが、そのものから取った経験が、最良の教師になることもあると思う。だから昔の ものも新しいものも使って行くと言いと思う。                                                    
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