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省略と論理の間 アジサイ の広場
たば星人 あころ 中2

 日本人は、淡泊であるかわりに持続力にかけている。うるさいことは嫌いだという。ごてごてしているのはおもしろくないと感じる。こういう傾向が言語
に影響しないはずがない。細かいことは省略してしまう。そういう淡泊好みの通人達が考え出した詩形が和歌であり俳句であり、短いことでは世界に類が少 ない。その二つの実によく似ているところは、言葉のいわゆる論理に背を向けているところである。感覚的に、全体を直感で把握する。「言いおほせて何か ある」そう芭蕉は言っている。完結した表現、整いすぎた言葉は氏にならないことを、これほど端的に述べたものは少ない。「いいおほせない」ためには論 理でも何でも犠牲にしてかえりみない。つまり作者は、日本人は淡泊で、欧米人はごてごてしているのが好きだと言いたいのだと思う。  

 僕はこれを読んでその通りだと思った。そして、日本人と欧米人の中間のようなだれが聞いてもわかる程度に省略するのが一番言いと思った。  その理
由は第一に、省略しすぎると何を言いたいのか人に伝わらない時があるからだ。例えば僕にはこんなことがあった。その日は、時間割を写すのを忘れたので 、(僕の学校は、前日に時間割を写す)友達の「Y田君」に、時間割を聞くことにした。そして「Y田君」に電話をかけた。そしていきなり  

 「あれって何だっけー。」
 

 と、聞いてしまったのだ。しかしそれで時間割のことだと気づくはずもない(気づく方がすごい)
 

 「あれって何のこと??????。」
 

 と聞かれて僕はやっと省略しすぎたことに気がついた。というできごとだ。これをみるとわかる通り省略しすぎると訳が分からなくなる。
 

 論理的すぎるといけない理由に、何かひつこくて、嫌な印象を受けるからだ。作文を書いている時は、ひつこい位具体的に書いた方がいいかもしれないが
、普段しゃべっているときに、そんなに論理的にしゃべってもそんなに意味はないし、ひつこくなるだけだと思うからだ。  

 「多すぎる休息は、少なすぎる休息と同じように疲れさせる」という名言がある。言い換えてみれば、多すぎても少なすぎても疲れるということだ。それ
と同じように、言葉も論理的すぎても、省略しすぎても人には良い印象は与えないと思う。  

 僕はよく、省略しすぎるという癖があるのできをつけたい。
                                         
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