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淡泊であること アジサイ の広場
正博 いえわ 高3

 日本人が、淡白であるかわりに持続力にかけていると言われるのも、生活感覚に左右されているところが少なくないのではあるまいか。うるさいことは嫌
いだという。ごてごてしているのは面白くないと感じる。こういう傾向が言語に影響しないはずはない。細かいことは省略してしまう。道筋を飛ばして結論 を出す。ありのままをくどくどのべるのは興ざめだとされる。  

 私は淡白が好きだ。そう感じるのは、やはり私が日本人だからであって、そういった人たちに囲まれて育ったからだろう。
 

 短い文の中から美しいだとか悲しいだとか読み取れるというのはこういった文章に慣れ親しんでいる証拠だ。派手さとは縁がないが、これを読んでおもし
ろいと思える感受性をもっていてよかったと思う。  

 しかし、和歌や俳句などを読みなれていないせいだと思うが、本文を読んでいてもよく意味がわからないときがある。そういったとき、この歌はこういっ
たことをいっているという解説のようなものを読むと、自分が読み取った「大体こんな意味だろう」とわからないなりに考えていたものとは大分違った意味 であったりする。  

 もともと何かを見るなり聴くなりして感じたことなどを書いているわけだから、そのときの作者の心境なども影響してくるわけで、読み取ることはかなり
難しいのではないか。  

 まあ、同じものを見たとしても感じることは一人一人違うわけであり、それを書き表したものである和歌や俳句にも同じことが言えるというのは何か変な
気がするが、逆に変に納得する部分もある。  

 和歌や俳句がこれだけ短いのは、短い文章のなかにどれだけ自分の感じたこと凝縮して人に伝えられるかということだと思う。そんなことをしなくても、
もっと長い文章を書けばいいと言うのももっともだとは思うが、和歌と俳句が独特の魅力を持っているのも事実だ。  

 またいくらよい歌であっても、読み手の感受性が優れていなければ、文の意味は伝わらない。短い淡白な文を代表的な文化としている日本人は、感受性の
高い国民だと言えるのではないだろうか。  

 
                                         
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