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清書:近所の林と足尾銅山 イチゴ の広場
A.L あそき 中1

 僕の家の近くには、小さな林(1aぐらい)がいくつかあった。その林は、今ではアパートになった所もあるし、木がなくなってしまっている所もある。木
がなくなってから、家の庭にある夏みかんの木にハトが住み着くようになった。たぶんこのハトは、その林に住んでいたんだろう。このハトが、巣づくりを はじめため写真を撮ったらハトが巣づくりをやめてしまった。この木が住みかになっているかは知らないが、昼間は木にとまっていることが多い。そして、 糞をする。でも、枝が多かったから枝を切ると、居心地が悪くなったのかハトが来なくなった。さっきの林からは2kmぐらいはなれているが、売り地があ った。この売り地には、木がなかった。なぜ、わざわざ林がある所を選んだのだろう。土地が安かったのかもしれないし、地盤がしっかりしていたのかもし れない。でも、それは買った本人に聞かなくてはわからない。  

 今は、環境省が環境を良くしようとしているが、明治時代には環境のことなどどうでもよいと政府は考えていた。富国強兵のためだ。そして、栃木県の足
尾銅山周辺の環境が悪くなってしまった。銅山から流れる廃液のためだ。この環境悪化をやめさせるため、足尾銅山の操業停止を求めた人が、田中正造だ。 田中正造は、衆議院議員にもなったため、足尾銅山の操業停止の演説を行ったりした。しかし、全く効き目がなかった。そのため、1900年には、政府に 訴えようと3000人ぐらいの農民たちが東京に向かって出発した。しかし、待ち伏せしていた警官隊におそわれ、多くの負傷者をだした。その後も農民と 田中正造は、政府に抵抗しつづけたが、1913年に田中正造が死に、1917年には農民がその地から出て行ったため、足尾銅山は運営をしたままになっ た。  

 「後悔先に立たず」で、環境が悪くなってから悔やんでもしょうがない。だから、環境が悪くならないように努力することが大切だ。
                                                     
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