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清書:おーでぃえんす最終編 アジサイ の広場
まっちゃん あさも 高1

 大相撲を始めて見に行ったとき、取り組み中、観客席が四六時中ざわざわしていて、緊張感が全然無いことに驚かされる。それは、私達が演ずる者と見る
者、つまり演じられている舞台とそれを鑑賞する観客とを空間的に分離することになれてしまっているからだ。コンサートでも演劇でも、開演にあたってま ず客席の照明が落とされる。それは見るものと見られるもの、演奏するものと聴くものとを空間的に分離するためである。確かに客が音楽だけを堪能できる

「コンサート」などもいいが、客も雰囲気を楽しめる「ライヴ」風なものもいいのではないか。
 

 現代の「音楽」といわれるようなものは、静かに聴き、挙げ句の果てには熟睡している人がいる、というものだ。また、大人があまり聴かないもののなかに
は、「ライヴ」などがある。ライヴはコンサートなどと違い、演奏者は演奏に徹し、聴衆は聴くことに徹するのではなく、演奏者と客が一体となる。演奏者は 客の中にダイブし、客はステージに上がる。演奏者がハイになれば聴衆もハイになり、演奏者が静かになると聴衆も静かになる。客の空気の読めない演奏者 は、どんなに技術があってもライヴとしては失敗だろう 。  

 「集中的聴取」とその反対。どちらがいいとは言い切れないが、コンサート的なものには心を癒す、静かに冷静に音楽を楽しむ、などが目的となっているが
、ライヴはそうではなく、楽しむためにあるようなものだ。ゆっくりくつろぎたいときにライヴにいったりすると疲れが増す。その反対もある。しかし、帰 って来て「楽しかったぁ~!!」と思えるのは確実にライヴだろう。疲れはいつでも癒せる(んなこたない)。しかし、楽しむのは逃したら次の楽しいチャン スが来るまで待たねばならない(んなこたない)。「家とは、外から見るものではなく、中で住むためのものである。」というように、音楽とは客観的に聴く だけでなく、実際にからだの仲間で満たすものである(?!)。音楽とは、楽しんで聴くべきだ。  

 
                                                   
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