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異次元への飛翔 アジサイ の広場
UZI.SMG そお 高2

 僕達は毎日、学校へ行き授業を受けたり友達としゃべったり部活をしたりして過ごしている。それは日常茶飯事のことであり当たり前のことが何事もなく
起こっている。このことを日常生活という。それに対して、たとえば旅というのは全くといっていいほど未知の世界をいきる。ツアーパッケージなら予測の つくものだが、それでもほとんどのことは未知だろう。そこには好奇心を揺さぶられるような出来事ばかりがある。これを「日常性」に対して「異次元への 飛翔」と呼べるだろう。人間の知的活動や精神的活動には知的情熱としての好奇心が必要なので、こうした旅をすることによってそれを喚起することは重要 なことだ。  

 
 

 「異次元へ飛翔」することによって人間は知的活動が始まるといっても過言ではない。大昔では環境の変化によって直立歩行や火の使用という文字通り異次
元の世界へ飛翔した。芸術家などは異次元を描くことが仕事のようなものである。創作とは異次元の世界を生み出すことにほかならない。そう考えると世の 中生きていくには必ず異次元への飛翔という体験が必要なのだ。このためのきっかけになるのが旅といえる。何も旅に限らず未知の世界を知ることでそれは 可能だ。読書やら映画、絵画、音楽、と言ったものは必ずその人の感性に訴えかけ未知の世界を知ることになり以前とは違った世界観を持つことになるだろ う。こうした体験は誰でも持っているはずである。つまり探究心を持つことが大事であり日常生活の中でそれを埋もれさせないようにする必要がある。常に 刺激を受け探究心、好奇心を育てていくのだ。  

 
 

 だが、「異次元への飛翔」だけをやっていては生きていけないだろう。異次元とは、日常との対比の上に成り立つのであり日常生活を生きている必要があ
る。平々凡々とした生活を繰り返している中で初めて逸脱への憧れが生まれる。また、毎日が旅であったらどうだろうか。「日々新たなり」が尽きることな く続けば人間は精神的にくたくたになり疲労困憊してしまうだろう。また逆に異次元への飛翔によって日常生活の大切さ・安定性を実感できるだろう。  

 
 

 このように考えると日常生活には安定性、安心感がある一方で、その平凡さ故にかえって退屈感を生んでいる。そうした生活からの逸脱への憧れが生まれ
、異次元への飛翔の必要性が生じる。そして、この異次元の世界は非常かつ特殊性に満ちたものである必要がある。それは非現実的世界であるといっても過 言ではない、芸術や旅のようなものである。そして一時の酔いが覚めたとき再び日常生活に戻る。このとき異次元での感銘を知的好奇心として育て、日常生活 の新たな一歩として生かしていくべきだ。  

 
                                           
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