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複雑な自分、複雑な他人 アジサイ の広場
Lisa あいす 高1

 私が文章を書くようになったきっかけは、しゃべることがどうしても他者に通じないと思いはじめたからである。自分の周囲を見わたしても自分と同類の
人はいないように思われたのだが、書物の中ではたくさんみつかった。そうして、私は書物を読むことにやむつきになったのだ。しかし、これは思い込みに すぎなかった。私もまた、周囲の人達から見ると思いの通じない人間に見えていたのだ。  

 
 

 私達は、つい他人を軽く見過ぎてしまう。自分はこんなに深い内面があり、悩みながら複雑に生きているが、他人には分かってもらえない、と思ったこと
は誰にでもあると思う。しかし、これは大きな間違えで、他人にも自分と同じように、深い内面があるのだ。私達はこのことをきちんと認識すべきなのだ。  

 このことは、自分と他人だけの関係に言えることではなく、国と国の関係でも言えることである。韓国は日本に謝罪を求めている。確かに日本は戦中韓国
にひどいことをした。これは事実であり、日本の過ちであることは間違い無い。しかし、一方的に日本だけが悪いというわけではない。日本にもいろいろと 複雑な事情があっただろうし、日本も戦中は、加害者だけではなく被害者でもあったのだ。それを外見だけで批判されては、現実をすべて受け止めたうえで 批判しているとはいえない。つまり、自己中心的な考えにすぎないのだ。自国にも様々な事情があるように、他国にも複雑な事情があるという事を受け止め なければならないのだ。  

 飛び箱の台上前転のテストの時、二回チャンスがあったのだが、二回目にはりきりすぎて失敗してしまったことがあった。練習中は一回も失敗しなかった
ので、調子に乗りすぎたのかもしれない。しかし、今までずっと失敗していた友達が、本番に二回とも成功していたのをみると、多少腹がたった。今思うと 、自分のことを過大評価しすぎていたと分かるが、失敗した直後にそんなことを思う余裕はなく、ただただ疑問と悔しさが残っただけだった。自分を過大評 価し、他人を過小評価してしまうのは、人間共通の欠点なのだろう。この欠点を人間は直していかなければならないのだ。  

 確かに、お互いに共通の悩みがあり、意気投合するということはある。しかし、このような経験をすることはほとんどない。ただでさえ、他人には自分の
悩みは分からないと思い込み、他人に相談したり、打ち明けたりしないのに、同じ悩みを抱えていたという人に出会う確率は非常に低いだろう。しかし、「 怠け者であることを批判するよりも、人間はもともとそうしたものだというところから出発するべきだ」というように、人間の短所を知った上で、改善にむ けて努力することが大切なことなのだ。今までのものの考え方が否定されるようで、最初はとまどうかもしれないが、だれもが他人も自分と同じように深い 内面をもった複雑なものと認識していくべきなのだ。  

 
                                             
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