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全員一致の採決はなぜ採用しないのか アジサイ の広場
太一 あうけ 中2

 イスラエルを旅していた時、「ここでは全員一致の採決は採用しないんですよ」と聞かされた。これは一つのパラドックスである。まず第一に、みんなが
一致できるような案件はいちいち採決にかけないという事情があるだろう。だから、こんなときは、別な考えがありそうなときである。また、みんなが熟慮 せず、いいかげんに答えているケースがある。反対意見を素直に言い表せない事情今日などがそこに伏在していることもありそうだ。また、イエスかノーか ははっきりと言い表せない場合も多い。百たいゼロでイエスの場合もあれば、五十五対四十五でからくもイエスに片部位手いる場合もあるからだ。  

 確かに、このような考えかたで考えて見れば、普段、学校でクラスの会議で自分の興味の無いことが多数決になると、「こんなもの早く終わらせて、早く
帰りたい」という願望で、みんなの様子を見てから多い方に手をあげてさっさと終わらせるようにしてしまうことも少なく無い。また、自分は反対だったの に、あまりに賛成が多く、その後で1人で「反対」に手を上げるとなると、何か気恥ずかしく、どちらも上げないまま済ませてしまうこともあった。  

 それでも、友達との決め事などの場合、僕は、あまり「どちらでも良い」とは言わず、結構きっぱり決めてしまうことが多い。というのも、僕は結構、「
お前が決めてくれ」とかいわれることがあるので、そんなときに迷うと、友達に悪いので、結構僕が物事を決めるのは、友達との間では多い。  

 結局、全員一致の採決は採用しないのも、イエスかノーかではっきりと言い表せないばあいにも共通して言えることなのだが、両方とも、人たちの考えを
重視して、「決める」というただそれだけのことではなく、「決める」までの過程が大事なのだと思う。  

 
                                                 
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