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行間や余白 エンジュ の広場
ラッキー7 せあ 中1

 私はどちらの方に近いのだろうかと考えてみた。どちらかといえば、私は、行間と余白の読み手であるのかも知れない。新聞の中に偶然が潜んでいる空間
を探すとすれば、それはやはり、あちこちに散らばっている情報である。自分が知っているから隠れた意味が明らかになるといった事実は、なるべく宝さが しのように、それらしくないところに置いてあった方がよい。宝さがしのように、情報も、予想されないような背景の中に含められている方が、ユニークな メッセージを帯びる可能性が大きいと言えるかも知れない。  

 私は、まともな中身よりも行間や余白のほうが面白いと思う。その理由は、二つある。第一の理由は、行間や余白があった方がなにかたと役に立つ。例え
ば私の場合、塾で一生懸命問題を解いていても眠くなり、つまらないがその途中に先生が「そう言えばこの前、こんな面白いことがあったんだ・・・」とか 面白い話をしてくれればつまらなかったものが面白くなり、やる気も出てくるかもしれない。  

 次に第二の理由は、ギッシリ詰まった中身ばかり見ていても段々疲れてくるし、嫌になってくるものだ。もし私なら、一行、一行の間に余白などがあると
、自分は、馬鹿なのでギッシリ詰まっていたのが、あんまりギッシリ詰まって無いように見えるのだ。馬鹿な私なのでこれなら読めると思う。  

 確かにギッシリ詰まっている中身を読んで速く正確に理解するのも大事だが、その中にある行間や余白を見て新たな発見や楽しい思いをした方が得だし、
大切だと思う。  

 
                                                 
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