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大人の条件 イチゴ の広場
あもい 中3

 大人の条件とは何だろう。大人になるとはどういう事なのだろうか。
 

 まず、“子供の要素”から考えてみることにした。依存心が強い、未熟である、経験が足りない、自立していない、自律性がない、という具合である。私
はよく母に「あんたは幼いのよ。もっと大人になりなさい。」と言われる。この「大人になる」というのは、体が大きくなることではなく、精神的に大人に なるということなのだ。つまり、“子供の要素”からの脱皮である。私も「早く大人になりたい。」とは思っているが、経験不足だし、自律性はないし、ま だまだ未熟だ。  

 しかし、いつになっても自立できないというのは問題だ。親に対する依存心が強い証拠である。また、いつまでも子別れしない過保護の親が多くなってき
ているのではないだろうか。『可愛い子には旅させよ。』という親の育児教訓がなくなってしまうのではないか、と思う程だ。その結果がいま世間を騒がせ ている。17歳の犯罪、20歳としてみっともないアノ成人式、等々挙げればキリがない。特に『成人式事件』は聞いてビックリだ。成人とは、法律上の権利、 義務等の観点から見て、社会の一員とされる大人のことである。これから社会に出ていこうという人達を祝う成人式で、あんなみっともないことをされたら 、その人達を育てる『大人』もがっかりだし、これから成人になろうとする私達もがっかりだ。きちんとした主義主張があるのなら、それなりの責任をとる だろう。しかし、演説中にベラベラしゃべったり、市長に向かってクラッカーをならしたり、「帰れ!」と叫んだりする行為はどう見てもオフザケとしか言 えない。彼等は責任をとっただろうか?とれるはずはないだろう。指摘されてからゴメンナサイと頭を下げるのは、小学生の謝り方と同等だ。しかも、その 内の1人は家庭をもっているらしい。子供もいる。そんな人に育児ができるのだろうか。自覚が足りないと思う。自分のやった事を恥じるべきだ。  

 よって大人の条件とは、自律性があり自立していること、アイデンティティが確立していること、である。自分と向き合って、よく見つめ、自分のした事
の責任がとれるか否かである。あるいは自分を恥じる、時には褒めてやるのもいい。そうすることによって、アイデンティティが確立するのではないだろう か。  

 
                                                 
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