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人間はしゃべる アジサイ の広場
UZI.SMG そお 高1

 しゃべることがどうしても他者に通じない、という悩みは誰にでもあるように思われる。実際自分もその一人だ。その理由の一つはしゃべるべき言葉が浮
かんでこない、話のネタが出てこない。しかも何かないかと無理して考えてしまうと余計に出てこないという悪循環。二つ目としては、自分の中でイメージ していることが言葉ではないものである場合。つまり音や映像といったもの。これは言葉では表しようがないからしゃべることなど不可能だ。ただ、話の方 向性が見えてきてイメージが喚起されればいくらでもしゃべれる。では、こうした悩みにはまり込んでしまったらどうすればよいのか。  

 
 

 第一に吉本氏のようにしゃべりではない分野で自分の考えを難なく表すことの出来る分野を見つけ出しそこで生きていく方法がある。しかし、「読書の毒
は全身を冒しはじめた」と彼は言う。毒という以上この方法は実は危険である。つまり、読書を介してのコミュニケーション・自己表現というのは生身の人 間との付き合いがない以上は非現実的である。非現実の幻想世界を生きることを毒と言っているのではないか。これではいつまでたっても悩みの本質である 他者との意思の疎通など達しえない。ただし、その人があまりにも天才過ぎて他者が理解できないのなら話は別だが、そんな人はアインシュタインのようなご く限られた特殊な人なので例外だろう。  

 
 

 そうすると第二に強引にしゃべりまくるしかなくなる。とにかく意味不明でも口に出して見てコミュニケーションしていくしかない。もちろんなんでもか
んでも口にしてはいけないが、自分の世界観を自分の言葉で表現してみるしかない。そのためには他者と付き合う時間を増やして慣れていくしかない。これ をやらないといつまでたっても本質的な問題をクリアできない。とはいえ僕はまだ慣れていなく、言葉の難しさに驚きもし、そんなことも出来ていない自分 が情けなくもある。だが、読書や執筆に逃げていても本質的な問題は解決されないことに気づいたのでそっちの方向へは深入りしないようにしている。  

 
 

 この悩みの本質的な問題は、他者とのコミュニケーションをいかにしてとっていくかということである。これなしには人間は存在しえないので、これは重
要な問題だ。漢字のすごい点は文字が語ることであるが、「人間」という漢字も、人が人との間(関係)でのみ人間でありうるということを見事に語っている。 だから、強引にでも他者と関わっていかなくてはならない。この点は見逃してはならない重要なことである。  

 
                                           
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