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清書:自由な空間 アジサイ の広場
Lisa あいす 高1  

 私がアメリカでホームステイしていた家の庭は、個人個人の庭というものではなかった。近所の庭は全部つながった広場となっていて、そこで近所の小さ
い子が遊んでいたり、ペットをはなしたり、どの家庭も自由に使っていた。日本庭園で、盆栽を1人孤独に手入れしている姿とはまるで反対で、自由で活発に 動ける場所であった。バーベキューをしても、どんなに子供が騒いでいても、苦情を言う家などはなく、むしろそれに混じって共にお喋りをすりというよう な空間であった。  

 私の家の近くにも、このような自由な場所といえる公園がある。その公園は、田んぼも畑もたくさんあるので、田植えや稲刈りが経験できるし、収穫祭に
行けばおいしいおもちが食べられる。公園らしいブランコやシーソーはないが、読書や編み物、日光浴等、なんでもできる空間だ。  

 奈良や京都には、見るだけの「庭」はたくさんある。たまに旅行がてらそれらを見物し、心を休めることは大切だ。しかし、それはたまに見るからしみじ
みするのであって、普段は人々が共通して自由になんでもできる空間というものが必要なのだ。  

 
                                                 
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