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清書:これから私たちは アジサイ の広場
ノッポ いえは 高2 社会は個人から成り立ち、それぞれの個人は、社会への責任をもつものとして意識し、行動していることになっているが、日本人の多くは、個人というより も世間を中心に考える共同体国家になっていないだろうか。  

 これからは日本も社会は個人から成り立つとする国際基準にすべきである。なぜなら、どの人にも平等であるからだ。大きな社会が定めた事により、様々
な立場のひとにも公平である。私の所属する高校の弓道部でも、時に差別的閉鎖性が出ることがある。弓道には偉大な歴史が積み重ねられてきているために 、様々な問題が生じても、正しい正しくないと言う前に「今まで」と言うものが尊重されることが多い。その歴史という枠にはめ込まれ新しいものを取り入 れようとしないことがあり、そのたびに私は疑問を感じるのである。  

 でる杭は打たれてはならない。出る杭があるからこそ人は進歩しすべての人にとって公平な社会へのヒントがうまれてくるのである。
 

 
                                                   
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