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「なぜ思いが実現するのか」を読んで アジサイ の広場
○○○○ あう

 思いが実現するのは、私達の意識を媒介にしてそこに宇宙の無限力が作用するからである。強く願えばその収束力はさらに高まり、実現度はもっと高まる
。宇宙の無限力はどれだけ浪費しても尽きることのない私達のこころの「主」である。波動とは一般には光や音が伝わっていく時の波の動きや長さのことを指 すが、物質の振動のことを波動と解釈している人もいる。人間の意識などの抽象存在も同様で、私達が発した思いがものの性質を変えたりする事が起こる。 人の心は波動でありこの波動に同調する事柄しか私達には起こらない。  

 以前、政治学の講義の中でドイツのファシズムがテーマになったことがあった。教授はそのなかで、ヒトラーにかかわる文書を取り上げて大変興味深い話
をされた。ヒトラーは優れた演説力を巧みに利用し大衆を第二次世界大戦やユダヤ人大虐殺へ扇動したことは周知のとおりである。しかし、彼は無名なころ から、道端ですれ違うと誰もが振り返りたくなるような人物であったそうである。この現象は一定の年齢にならないとわからないだろうと教授は述べていた が、人の発した波動が周囲を変えてしまった一つの例であろう。  

 人の発信する波動によって周囲が変わってしまうことは、身近にもよくある。例えばコンパなどで「この人がいないと面白くない」という人はどのグルー
プにもいる。逆に「この人がいるせいで面白いイベントもたちまちつまらなくなる」という人も誰の周りにもいると思う。この現象もおそらく人の心もまた 一つの波動であるために起こることだろう。  

 このように自ら発信する波動を調節することによって周囲も大きく変化し得ることがわかる。ならば、「世間が、政治が、経済が、だれそれが、」という
前に「では自分は」と問い掛けて見るべきではないだろうか。自分の考え方も変えることによって周囲も大きく変化し得るのではないだろうか。  

 確かに、社会制度、経済、政治などの周囲を取り巻く環境にもし不備な点があるならば、その点を修正しなければならない。しかし、一方で自分自身の不
備な点を周囲に転嫁してはいないだろうか。自分自身が無意識に出している波動のため自分を取り巻く環境が満足できないものになっているとも考えられな いだろうか。周囲の不満を言うのではなく、まず自分の出す波動を変えてみる必要があるのではないだろうか。  

 
                                               
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