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清書:清書:学習の感動 アジサイ の広場
正博 いえわ 高3

 私は小学生三年生の時、そろばん塾に通いだした。最初はそろばんにさわったこともなかったが、計算が初めて出来た時は感動したのを覚えている。計算
する桁の数が増え、かけ算わり算も出来るようになると、難しくなるにつれて出来たときの感動も増していった。  

 そのそろばん塾も中学生になると、やめてしまったのだが、そのおかげか暗算は結構得意だ。しかしそろばん塾に行きたいと思ったのは、計算が得意にな
りたかったというより、友達との会話でそろばん塾の話が出て、「一緒に行こうか」とか、そういう事だったと思う。(笑)  

 この文を読んで思い出したのは、そろばん塾の事だった。計算が難しくなり、暗算では解けない問題も解けるようになったときの感動だった。人間が「学
習」するのは、感動したいからだと思う。また感動することで、更に興味が持続し、続けずにいられなくなるということもあると思う。  

 今、私が行っている高校の先生は「生涯学習」という言葉をよく使う。生涯を通して勉学に励み、自らの主題を掘り下げろということだ。どんな主題を見
つけられるか、あきらめずにどこまで掘り下げられるか、それは見つけられる感動が、最も大事であると思う。  

 
                                                 
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