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OECDから(感) アジサイ の広場
俊英 いこか 日本以外の先進国やアジアの国のほぼすべての国では、大学入学資格で数学が必修とされている。これは、すべての人が数学を日常的に使うからではない。 数学の学習が論理的思考を養うからである。そして、数学を学ぶ、もう1つの理由は職業の選択肢を広く保ち、異なる仕事に適応できるようにするためであ る。数学の学習を日常生活で使うだけにかぎることが、子供の能力をみすみす退化させてしまっているのである。  

 確かに、生活に直接役立つことのない数学を勉強することで別の価値で教育を考えるという意見もある。私は幼稚園の頃から塾に通わされており、良い大
学に入るために勉強を重ねてきた。そのためか、常に今やっている勉強が将来、自分に役立つものなのかと疑問を抱いていた。しかし、そんな私でも数学の 授業は好きであった。ただ暗記するだけの科目と異なり、自分の頭で考えて問題を解いていき、模範解答とは違った解き方をしていたりするととても新鮮な 気持ちになったりもした。このように、数学を勉強することは論理的思考を養うことができるといった別の価値で教育を捉えることもできる。  

 しかし、実際の生活に役立つ教育の必要性も問われてきている。先日、教育法が改正され、2002年から小学校において本格的にパソコン教育がなされ
るようである。日本のパソコン普及率は近年上昇しているが、アメリカなどに比べるとまだまだデジタルディバイドという格差が生じている。これからの社 会においてパソコンを使いこなせるというのが必須になってくる。だからこそ、小学校からパソコン教育を行っていく必要性がある。  

 確かに、生活に直接役立つことのない数学を勉強することで別の価値で教育を考えることも、実際の生活に役立つ教育を考えることもよいが、大事なこと
は今後日本の教育はどうあるべきかを考えることである。「明日の朝が仕事を完成させて持ってきてくれるわけではない」とあるように、教育と日常生活の 接点を考えるだけでは今までのように教育が受験に結び付いてしまう。教育と受験の関係を断ち切るためには、教育は大きな意味で人間形成の場であるとい う教育の本質を考え直す必要があるだろう。  

 
                                                 
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