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作者の観念 イチゴ の広場
いくは 高3

        「作者の観念」                
 

 澄み切った青空でもない。赤く燃えるような夕空でもない。朝か夜かもわからない濁った空。街灯のない道。葉の少ない木々。押し込まれたように連なる家々の
団欒は、聳え立つ塀に遮られ見ることもできない。――孤独――。安らぎや欲心ではない。深い静かな孤独を表現している。濁った空は、孤独の象徴。それを強調 するように作品の二分の一空が描かれており、木々や家々は両脇に描かれている。  

 では男はなぜいるのだろう。家を幾つも描いていながら人間があえてひとりしか描かれていない。ここに男が描かれている意味が二つ考えられる。一つ目はそ
の存在がさらに孤独を後押ししているということ。男は杖を持っており、老人のようで何かに頼る弱者に見える。二つ目は、その男が作者自身であるということ。 男は道を歩いているようには見えない。立ち止まり、じっと空を眺めているといったほうがいい。孤独の象徴である空を作者が眺める。まるで作者が己の孤独を 自ら見つめているようだ。人間は、己の孤独の存在を忘れ去りたがる。しかし作者は、誰もが目を背ける孤独をあえて見つめている。作者は己の孤独をあるがま まに受け入れるべきだと、説いているのだろうか。それとも作者自身、孤独を受け入れていることを表現しているのだろうか。どちらにしても「孤独を受け入れ ることは大切な事」なのだと、この作品から感じられる。  

 このように絵画に限らず、作品と呼ばれるものにはそれぞれ作者の観念が必ず込められていると思う。作品には見る人に強く訴えたり、主張したり、ユーモラ
スなものもあれば、滑稽に何かを批判するものもある。私たちはそれを見て笑ったり、怒ったりして満足している。しかしそれでは作品を本当に味わっていると は思えない。見るべきものは表面的技巧ではない。ましてや、作者の有名無名でもない。作品の底にある観念だ。この観念こそ作者がその作品を創った最大の理由 なのに私たちはつい見落とす。そのことを踏まえて作品を見ることが大切だ。そうすれば本当に作品を味わえるのではないだろうか。  

 
                                                 
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