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外国人に日本語を アジサイ の広場
太一 あうけ 中2

 外国人に日本語を教えているうちに気づきました。一般に欧米人は質問に対して「いいえ」というときに、強い調子で答えることが多いのです。もしや、
質問しそこなったのではないのかとこちらが思うほどに。しかし、よく見ていると、「はい」も「いいえ」も同じように強くはっきりと答えているだけです 。私の耳は「いいえ」を強すぎると感じたのでした。それは、私たちが、日頃「いいえ」をやや控えめにいう習慣が身に付いているためだと思います。しか し、米国人からすれば、日本人は「ノー」の言い方が弱々しく、はっきりと態度を表せ、と思われるようです。また、欧米人の「いいえ」は現実の行為の有 無に向けられているのに対し、日本人の「いいえ」は話し手の意向に向けられている。だから英語では「ノー」とはっきり否定することが相手の尊重につな がるのです。日本人はいつしか読心術のような物を身につけ、言葉の見せかけに惑わされることはありませんが、外国人にとっては解しがたい事が少なくな いようだ。  

 たしかに、否定ははっきりとする方がいいと僕は思うのだが、あることがあってから、まだ日本人は否定をはっきりすることはやめた方がいいと思った。
 

 その体験というのは、少し前、塾で先生の授業を受けているときだった。その時はみんなが宿題の答えを指されたら答えるときだった。そして僕の番が回
ってきたが、僕は指された問題がわからなかったので、僕は「わかりません」と大声で言った。その時は先生がすぐにわからないところの解説をしてくれた が、授業が終わった後、廊下に呼び出されて、「『わかりません』の言い方がおかしいんだ。大きな声で言うな。」と注意を受けた。そして、その次の授業 でまたもやわからなかったところを指されたが、黙っていたり、小さな声で言ったら何も言われなかった。やはり、郷に入っては郷に従えと言うように、や はり国際化社会といえども日本は日本で言葉の習慣を守らなければ、と思った。  

 しかし、「わかりません」を小さな声で欧米人に言ったら、文章にあるように、はっきりと事実を伝えない人と思われてしまうだろう。やはり、生徒と教
師との上下関係も関係してくるとは思うが、やはり「わかりません」を小さい声で言うのは日本の変な習慣でこれからの国際化社会にはうまく対応できない ので考え方を変えた方がいいと思う。  

 しかし、「はい」や「いいえ」以外でも、あまりにも強くすると、やはり今の日本では変に感じられてしまう。かといって、それを外国で使うとまた変な
風に思われる。つまり、どちらにも合わせて「使い分け」をしていくことが良いのだと思う。                                                  
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