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学習の感動 アジサイ の広場
正博 いえわ 高3

 頑張ることが大好きな日本人は、様々な場面で「努力」「勉強」などという言葉を好んで使います。「勉強」とは、それ自体が目的ではなく、あくまでも
そこへ行きつくための手段にすぎません。大切なのは何のために学ぶかです。したがって、学生時代とはこの課題を「勉強」を通じて考えていく、いわば自 分探しの旅の始まりにも例えることが出来るでしょう。  

 私は小学生三年生の時、そろばん塾に通いはじめた。最初はそろばんという物にさわったこともなかったというぐらいだったが、初めて一年生でもできる
ような簡単な計算が出来た時は、少なからず感動したのをおぼえている。それから計算する桁の数が増えていき、かけ算わり算も出来るようになると、難し くなるにつれて、出来たときの感動の大きさも増していったが、面倒くさくなって、塾をさぼったりしたこともある。  

 そのそろばん塾も中学校に上がるときにやめてしまったのだが、そろばん塾のおかげか、暗算は結構得意だ。しかしはじめにそろばん塾に行きたいと思っ
たのは、計算が得意になりたいと思ったからではなかった。たしか、友達との会話でたまたまそろばん塾の話が出てきて、「一緒に行こうか」とか、そうい う感じだったと思う。(笑)  

 小学校の頃は大抵のことがこんな感じだったのだ。非常にのんびりとした学校で、「つとめしい」られたことはほとんどなく、「勉強しよう!」という感
じでの勉強はあまりしなかったと思う。  

 しかし、中学生になり成績のことが気になりだし、自宅での勉強をはじめると、何故か成績が落ちた。その時は何故か分からなかったのだが、今考えてみ
ると「学習」から「勉強」に変わったということだろうか。  

 この文を読んで一番に思ったのは、上に書いたそろばん塾の事だった。だんだん計算が難しくなり、暗算ではとても解けないような問題も解けるようにな
ったときの感動だった。人間が「勉強」「学習」するのは、感動したいからではないかと思う。また、感動することで、更に興味が持続し、続けずにはいら れなくなるということでもあると思う。  

 今、私が行っている高校の先生は「生涯学習」という言葉をよく使う。生涯を通して勉学に励み、自らの主題を掘り下げろということらしい。どんな主題
を見つけられるか、あきらめずにどこまで掘り下げられるか、それは見つけられる感動が、最も大事だと思う。  

 
                                           
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