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十人十色 アジサイ の広場
AE86 えや 高1

 人間以外の動物は普通「本能」の赴くままに行動するとき、そこに迷いや不安はない。彼らにとっては、世界は予め秩序を与えられているのであって、自
らがそれを創り出す必要がないからである。つまり、選択の余地がないのである。それに対して人間は、そのような「本能」の導きを失い、従って、混沌と 化した世界に対して、素手で働きかけることができず、文化という装置を創り出すことによって、再び秩序をとり戻してきたのである。すなわち、われわれ は全人類が例外なく持っている言語という文化装置(記号体系)を通してしか現実を構成することができないのであり、したがって、それぞれの言語という 記号体系が異なれば、見えてくる世界も違ったものになってくるのである。  

 互いに自国の文化の枠で相手を判断してはいけないのだ。それぞれの国の文化が違うのは当然のコトなのだから。だがbutしかし、人間は「文化」というフ
ィルターを通してモノを見て生きてしまう生き物なのである。そのフィルターが「太陽は赤」や「犬はワンワンと鳴く」などという固定概念を植え付けてい るのだ。確かに文化(フィルター)は邪魔な面もある。しかし、良い面もあるのだ。それは、フィルターを設けるコトによって、「自国文化を直接破壊しな い」というメリットがあり、フィルターにより保護されてしまう為、入ってくる情報も少なくなってしまうというというコトである。これを車に置き換える と「エアクリーナー」が挙げられるだろう。コレには必ずフィルターが設けられているのだ。コレによって、空気を吸っても小石などがエンジン内部に入ら ないというメリットがある反面、空気を吸うのに少なからず抵抗になってしまうということだ。自国のフィルターでモノを見ないようにするためには、次の ような方法を取るべきである。それは、十人十色というコトを理解するコトである。国によっての文化の違いは国の数だけあるのだ。そのことを忘れてはな らない。  

 しかし、そのフィルターの違いというのは国だけのモノではない。今、一番身近で起こっているモノもある。それは「大人VS子供」である。大人は茶髪を
否定し、子供はそれを肯定する。コレが今一番身近で起こっているフィルター問題である。私の考えでは、茶髪は否定しない。むしろ、人間という生き物の バリエーションが増えて良いと思う。  

 人間は十人十色である!
 

 
                                                 
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