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そのまま使う言葉 イチゴ の広場
たば星人 あころ 中1

 漢語は、それに使われた漢字が忘れられると意味用法の転じることが少なくない。ことに話し言葉では、漢字でどうかくかを問題にしないから意味を支持
するものがないためにとかく変化しがちである。「週刊朝日」に、「電車の『つり皮』は現在はビニールを使っているのでこれを『つり皮』と称するのは不 当で、『つりビニール』というべきだ。『枕木』は、近年ではコンクリートを使っているから『枕コンクリート』というべきだ。」という考えが掲載されて いた。このような考え方をすると言葉にはいくらでもおかしいものが出てくる。言葉の正しさを論ずる時にとかく語源が引き合いに出されるが、語源のとう りでは社会の変化のためにあわなくなるものが多い。そうかと言って一々言葉を言い換えるのも大変だろう。結局、言葉は各人の言語意識によって動いてゆ くようである。言葉の正しさの規範意識もそこから生まれ出るようだ。というのが作者の考えだ。  

 言葉を、そのときの社会にあったものに変えるべきかと聞かれたら僕はなんと答えるだろう。たぶんその言葉によるけれど、ほとんどの場合変えない方が
いいと言うだろう。  

 聞いた話だが日本が戦争をしているとき日本政府は、外国の言葉をいっさい禁止したその中で有名な例を挙げると「野球」だ。野球は、「ストライク」や
「ホームラン」を見てもわかるとうり英語でいっぱいだ。その当時の日本政府は、それさえも変えてしまった。「ストライク」=「よし」、「ボール」=「 だめ」というふうに、英語を消してしまったのだ。きっとそのときの審判は、やりにくかったと思う。  

 このように今まで慣れ親しんで使ってきたものをかえるというのは、難しいことなのだ。日常生活の中でも今まで「牛乳」といっていたのに急に「ミルク
」というと何かしっくりこないことだろう。  

 しかし変えなければならないときもある。例えば「クリーニング」だ。洗濯というのは、水や石鹸で洗うから洗濯なのだ。それを、油を使って汚れを落と
す「クリーニング」と一緒にするのはいけないことだ。  

 「存在するものには、良いとか悪いとか言う前に、すべてそれなりの理由がある」というように今ある言葉には、その言葉になった理由があるのだ。だか
ら、その言葉を日本語になおしたり英語にしたりしなくてもいいのだ。確かに日本語になおしたり英語にしたりするとカッコ良かったり日本風になったりす るかもしれないが、それが果たして使いやすいか?ということだ。きっと使いにくいと思う。だから僕は、今の日本語は、今のまま使って行けばいいと思う  

  
                                             
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