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「一瞬の閃き」を得るために アジサイ の広場
Lisa あいす 高1

 初めて聞いた時は、ぱっとしなかった音楽も何回か聞いていくうちに素晴らしい音楽と思えるようになった、という経験をしたことがあるだろう。CDを買
ったばかりの時は「失敗だったかな」と思っても何回か聞いていくうちにお気に入りの一枚となった経験は誰もが経験したことがあると思う。この「一瞬の 閃き」は、音楽に関してだけではなく、様々なものに対して必要なものなのだが、この「一瞬の閃き」はある程度の試行錯誤の歳月を経てから始めて経験で きるものなのである。しかし、最近すべてを効率よく進めるためにこの試行錯誤の期間を軽視しがちである。これからは、この期間をもっと大切にしていく べきだ。  

 そのためには、最後まで自分だけの力でやりとおすということが必要だ。現在の世の中は、自分で努力するということが足りないように思う。上の人々か
ら与えられる便利さをつい利用してしまいがちなのだ。逆上がりは皆が共通して自分自身だけの力で努力したことであろう。私も、小学生のとき休み時間の たびに鉄棒を練習しにいっていた。放課後や、休みの日にも学校に行っては、逆上がりの練習をしていた。逆上がりは、ある日いきなりできるものだ。体で ことをつかみさえすれば、しばらく練習しなくともいつでもできるようになる。この様に、努力の期間があって「一瞬の閃き」を経験することができるのだ 。この、逆上がりができたことの喜びを、他の方面でも味わうために様々なことに対して、自分の力で努力するということが大切なのだ。  

 また、余暇の時間を上手に使いこなすことが必要だ。現在、日本は余暇の時間を増やして、自己実現の場をつくろうとしている。その事に対して、「日本
人の学力低下だ」と批判する人がでてきている。しかし、まだ余暇活動を国がすすんで取り入れるようになったのはつい最近のことである。数学、理科など の学校で習うような狭い分野での学力、テストによって測ることのできる学力は下がっているかもしれない。しかし、他の今まで日本人が持っていなかった ような、素晴らしいものが伸びてきているように私は思う。今それは表面的に現れていないが為に、世間の人々に評価されていないが、これから徐々にこれ からの時代に必要な知識が伸びてくるに違いない。今は、その知識を得るための、試行錯誤の期間といえるであろう。  

 確かに、能率よく社会が動くことは、利益にもつながる事である。しかし、能率を第一に考えて、上から与えられるものばかりに頼ってしまっては薄っぺ
らい知識にしかならない。本当に必要なものを得ようとするならば、試行錯誤の期間はなくてはならないものなのだ。孔子は、「学問は、知識を蓄えるだけ ではなく、同時に理解して考えることである」というような言葉を残している。学問だけに限らない。どんな事に対しても、考えるという試行錯誤の時間が 必要なのである。  

 
                                                 
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