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古典の良さと流行の作品の良さ アジサイ の広場
太一 あうけ 中2 このところ、ドストエフスキーなどと20年以上も前に読んだものをもう1度読みなおして何となく良い気分である。古典とは決して「古いもの」と言う意味で はない。永遠に新しいものを古典と言う。時代の流行を代表するような作品は次々に現れ、たくさんの人に読まれるが、その多くはいつの間にか消えて行く 。古典といえるものでも、ある時代にはなりをひそめているが、別の時代にはよみがえってもてはやされることがある。古典に現代の生活では日常的でない 素材が用いてあると、不思議なことに、抽象の骨組がかえってはっきりと見えてくることがある。古典は私をいつもすがすがしい気分にする。  

 確かに、流行るもののほとんどは、いつの間にかどこかに消えて行ってしまう。また、爆発的に流行ったものほど、すぐに消えて行ってしまう。今思えば
かなり昔のように感じられる、あの「たまごっち」は、流行った頃は、本当に売れ、プレミアまでついて、普通1980円で買えるものが、5000円で売っていた こともあった。それでも平気で買っていく人もいた。しかし、今思えば、「あの騒ぎはなんだったんだろう?」と思う人も少なくない。また、今「たまごっ ち」なんて口にしただけで、「古い」とおもわれてしまうこともあるかもしれない。ゲームだってほとんど同じだ。中には、まだはやっているものもあるが 、少し前に流行ったのをいまやっていても、それについての話を友達として、盛り上がることは少ない。  

 また、僕は最近、あまり本を読まないが、昔読んだ本の多くは、古典だった。しかし、なぜ古典は、今となっても、廃れずに多くの人に読まれているのだ
ろうか。僕が思うには、古典は爆発的に流行することはないが、確実に後世にも残っていく。つまり、細々とだが、その代わり、長い間読まれるのだ。逆に 流行のものは、その時代には爆発的に多くの人に読まれるが、その代わり、すぐ飽きられてしまう。古典がなぜ長い間、確実に多くの人に読まれるかという のは、どこか、現代でも昔でも変わらない、人間の根本的な何かをつかんでいるからだと思う。流行はその時代によって気質が違う。だからその時代しか受 け入れられないのである。  

 つまり、両方ともいいところは持ち合わせてはいる。だから、古典が好きな人も、古典ばかりではなく、流行の本に目を向けて見るのもいいし、流行の本
ばかり読んでいる人も、古典を読んでみる。そうすれば、両方の短所を補えるのではないかと思う。  

 
                                                 
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