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古典の大切さ アジサイ の広場
ピエッパ にお 中2

 あなたは、平家物語の冒頭部分を知っているだろうか。
 

 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・」
 

 このような文なのだが意味は、
 

 「どんなものでも時がたつにつれて、なくなっていく。」
 

 というような、現代に関わることである。どんなに流行っていたものでも、今となってはガラクタに過ぎないというものはあるだろう。このように、平家
物語のような古典にも、今の現状が映しだされている。古典とは、その時代の具体的な素材を用いて抽象の中に表現しているものである。けっして「古いも の」という意味ではないのである。  

 古典と同じように昔話でも同じ事が言える。例えば、だれもが知っている「ももたろう」で考えてみよう。鬼退治に行くももたろうは、途中で犬とサルと
キジに出会い、力を合わせて鬼と戦い見事に勝ったという話だ。その中にも、現代と変わらないところがある。犬とサルとキジが鬼退治に行ったのも、もも たろうの腰についていたきびだんごがほしいためだった。今で言う、携帯ショップの店頭に並んでいる携帯電話に目がくらみ、それを買うということだ。ま た、4人(正確には1人と3匹)が力を合わせて鬼退治をしたというのは、難しい問題を4人で解いたというのと同じでないか。  

 確かに、古典や昔話は登場人物や背景が全然違う。今の日本で戦話をしてもピンと来るはずがない。でも、人間の本心というのは変わっていない。ももた
ろう達が鬼退治をする時も、力を合わせ、その結果退治できたのだ。ぼくは、古典というものを読んだことがないので、今度読んでみたいと思った。また、 古典の本を持っている人は、ぜひ読んでもらいたい。                                              
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