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人間向上論 アジサイ の広場
眠雨 うき 高1

 自らを省みることを忘れた時から人の進歩は止まる。人間の成長とは自分の中の問題を発見し、それを打開するための方法を検討し、そして自分の理想体
へ近づこうと努力することによって成り立っているからだ。敬意を払って他者と接し、互いを向上させる機会のない、若しくは少ない職種…例えば教師など は、自分自身の成長は困難になってしまう。自分より劣っていると思っている相手との交流では、成長など望めない。我々は周囲の無害さに満足せず、自分 のちからと同等かむしろそれ以上の交流を、他者に求めていくべきだろう。  

 そのための方法として第一には、よい友人をつくることが挙げられる。互いに同一とは言えずともよく似た目標を持ち、そしてそのために努力し、いい点
も悪い点も指摘しあってお互いに向上していける、そんな友人を。これにはインターネットという環境が、実は適切である。誰もが情報の発信者になること ができ、またその反応を受け取ることができる。現実世界では生真面目な交流などどこか気恥ずかしくてできなくとも、インターネットでは文字のみのコミ ュニケーションというのも幸いして、意外に自分の本年がでてくる。相手の反応も、知らない人間であるから余計な先入観無しに、むしろ知らない人間への 敬意とともに受け取ることができる。自分もインターネット上で私的に文章を書き、時たまその感想を受け取っている。やはりインターネットを介してだが 、互いの作品を読み合う友人もいる。そしてその結果、リアルスペースの友人たちに比べ文章力のごく基礎的な部分は固まり始めたように思う。茶化しでも 誤魔化しでもない真面目な向上の意識を持つことにより、人間は成長するのだ。  

 また第二に、心構えを正すことが挙げられる。自分は何かについて誰かよりも優れている、といった先入観を失くさねばならない。どんなに相手が幼く、
また愚かであるように思えたとしても、他者の意見には裸の耳を傾けることは必要だ。やはりインターネットでの議論を見ると、時たま非常に馬鹿げた討論 が取り交わされている。自分の意見に固執するあまり読みにくい長文を並べ、反論を受けると、屁理屈めいた論旨を曖昧に摩り替える文章で返す。「2ちゃ んねる」という匿名許容のフリー掲示板群では、そうした固定ハンドル(インターネット上で他者と区別するために使う名前)故の妙なプライドに囚われ、 自分の意見を頑なに守ろうとする人々を「コテハン」「正欺瞞」等のスラングで蔑む。いかにインターネットという恵まれた環境とはいえ、相手の意見を一 歩退いた場所から見つめ、自分に反映する姿勢がなければ宝の持ち腐れである。  

 確かに愚劣な人間のように思える相手もいるし、実際、交流自体が害になるような悪性というものもある。しかしそうした人間でさえ、時に宝石のような
言葉を零すことがある。またたとえ見目の汚らしい悪口雑言であったとしても、そのうちには一面の真実を孕んでいることもある。コミュニケーションの入 り口で躓くことなく相手の意見を受け止めて、反省してこそ我々は前進できるのではないだろうか。不真面目ぶったポーズやジョークばかりがもてはやされ 、真摯な交流は奇異の目をむけられる昨今。そんな時代だからこそ、互いの存在がために強くなれる交友が、我々には必要とされている。  

 
                                                 
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