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人間的成長 アジサイ の広場
Lisa あいす 高1

 教師や僧侶は、常に人の上に立ち人々に教えを説く位置にいる。彼等は本来ならば、成長し続けていくものであろう。しかし、現代は教師、僧侶としての
基本的な心構えが忘れられつつあり、その結果として教師、僧侶など、人の上に立つ人々の著しい成長を目にすることはない。このことは、私達日本人にも いえることであろう。経済的にも、技術的にも世界のトップレベルに位置するようになった我が国日本は、教師や僧侶と同じ立場にいることを忘れてはなら ない。今ある自分に満足するのではなく、常に学んでいく姿勢を崩してはならない。人間はそうやって成長していくべきなのだ。  

 そのためには、自己満足は禁物だ。たとえ周りの人々から賞賛され続けている立場でも、そのときの自分自身に満足してしまったら、学ぶ事をしなくなり
、成長は止まってしまう。私の学校の生徒会の顧問は、生徒の要望を全然聞きいれてくれない。先生としての学校での位置に満足しているのか、学校の伝統 を守りたいのかよく分からないが、今の時代に適していない校則が、あまりにも多い。学校をよりよくさせていこうというより、学校の伝統を守りぬこうと いうことを重視しているようで、入学当時から校則が変わった事はない。時代に促して、学校も改良していくべきなのだが、生徒会顧問の先生が今の状態に 満足しているがために、学校がよくなっていくことはないのだ。  

 また、自ら不利な立場に位置づける事も大切だ。軽蔑される立場に位置する事によって、自ら学ぼうという姿勢が表れてくる。インドは今まで社会的にト
ップに位置しているとはいえなかった。しかし、現在インドのコンピューター技術は、目をみはるものがある。日本と比べると、情報を使いこなせる人口は はるかに多く、技術も日本より進んでいる。社会的不利な位置にいたからこそ、大きな成長をしているといえる。森首相が「IT革命」とよく意味も把握せず に叫んでいる間に、インドは確実に進歩しているのだ。  

 確かに、たまには人々から賞賛され、自分自身に自信を持つ事も大切であろう。そうでないと、精神的に下落してしまう危険性がある。しかし、人間は現
在の自分の生き方に満足する事ではなく、恥じる事によって成長していく生物なのである。一人一人が学んでいくことによって、一人一人が成長し、また社 会も成長していくのである。  

 
                                                 
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