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坊主ははさみにつかえよう アジサイ の広場
UZI.SMG そお 高1

 人が人として成長するにはどうすればよいのか。それにはまず、絶えず現在の自分の生き方を顧みて、自らを客観視することが必要だ。また、自分の新た
な可能性を絶えず開拓していく気迫を持ちつづけることも重要だ。そしてなにより、大人になることが大前提だ。  

 
 

 さまざまな経験をして不幸やら不満や不調や苦悩などに打ち勝ち、そして社会に出られるようになったとき大人になる。であるから、そうした不幸な状態
に陥った時にまず立ち止まって自分で自分の内面を見つめ、そして何らかの形で自力にて切り抜けることが成長のための条件である。そして人としてありつ づけるには何かつまづいた時はいつでもその作業を行う必要がある。  

 
 

 また、前項で述べた不幸な状態から抜け出すための起爆剤として自分の、自分に対する自信が必要だ。そのためにも自分の存在意義を探すためにも開拓精
神は必要だ。また、違った意味もある。それは常に自分を不完全な存在として認めることで奢りや自信過剰といった気持ちを自戒するという効果である。  

 
 

 僧とは何者なのか。それは世俗を捨て、自らの精神の内面世界にのみ生き、ひたすら自分というもの、さらには人というものについて悟りを開くことにあ
る。つまり人として成長していくのが仕事なのだ。また重要なことは、その生き方の根源には必ずや不幸な経験や諸事への不満が存在するということだ。で あるから幸せいっぱいの人間は僧にはなれない。信長は比叡山を焼き討ちにしたことで有名だがその理由は、「僧を偽って神仏をないがしろにする俗物・怪僧 を征伐する」というものだ。たしかに、女人禁制の山に遊郭のごとく大勢の女性がいたという話や金を私利私欲の為にむさぼり仏事を二の次にしていたとい う話を聞けばそれにはうなずける。とにかく、世俗の人間は、不幸な時には僧になるという心構えを持てば人として成長できるのであろう。「髪の成長を求 めるには僧は不適だが、人としての成長を求めるには僧が最適である。」  

 
                                           
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