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心のもやもや解消法 アジサイ の広場
横浜太郎 あわか 中3

 僕は、自分で言うのもなんだがよく「わからない」と言われる。僕というより、僕が付き合っている友人たちがそういわれるため、そうなってしまう。僕
はそんなことを言われるのは嫌だし、自分で「わからない」とも思っていない(なんか、よくわからないが…)。でも、どうして人は僕らのことを「わからな い」などというのだろうか。実は、そこには人類の驚くべき秘密が隠されていたのだぁぁぁ!!(なんか、書き始めてすぐ大変なことになっちゃったぞ…)  

 僕も含めてだが、人間、特に日本人は人を見かけで判断する人が多いと思う。例えばよく言われる(言われるのか?)
のが会社の面接。僕は残念ながら面接会場には行ったことがないのだが、話を聞くと、360度回転しても見える光景は大体同じらしい(最近はそれほどでも ないようだが)。みんなリクルートのスーツに身を包んで…。なぜリクルートスーツ人間ばかりいるかというと、「そのほうが面接官と面接したときに無難だ から」という理由らしい。実際に面接官もそういう服装を好む人が多いらしい。そして、リクルートスーツの人とアロハシャツの人が面接にきたとする(この 2人の学歴なんかは同じものとする)。この場合、多分リクルートスーツを着ている人が受かるのではないだろうか。面接官はその人の内面ではなく、外見で 判断したのだろう。結構なことだ。見かけで判断していただいていっこうに構わない。ただし当方では一切責任を負いかねます、チャンチャン。実際、履歴 書と数十分の面接でどれだけその人の真の姿がみえるのだろうか。その人の真の姿がそれだけで見えるのなら凄い能力だ。誉めてしんぜよう。ところで、有 名大学卒のエリートと言われる人たちが会社に入る。しかし、「本当に使えるのは2割、何とか使えるのが6割、どうしても使えないのが2割」といわれたり する。大体この人たちの履歴書にかかれていることは似たり寄ったりだろう。入社してからの働きを決めるものは外見ではなく、内面なのだ。  

 とはいっても、例えば電車の中で隣に、鼻ピアスをして、金色に頭を染めた怪しい(?) お兄さんが座ってきたら (何だぁこの人は)
と思ってしまう。しかし、話をしてみると以外に優しかったりする。だから、外見で避けるだけでなく、突っ込んで話をするのも大事なことだ。  

 突っ込むといえば、僕の脳裏には夏休みの、理科の自由研究のことが浮かぶ。普段、「ミスター博学」(?)
と言われるだけあって、学校のみんなが知らないようなこと (例えば警察署の電話番号が、局番のあとに0110とつくとか…) を知っている僕は、突っ込んで考えるということが少なかった。しかし、そのときの自分で決めたテーマは「宇宙」。否応なしに突っ込んで考えなければな らなかった。肇のうちは戸惑っていたが、最後のほうは、むしろそれが楽しくなってしまった。そして、自分でも満足(97点位)するものが出来た。確かに、 普段は「ミスター博学」でいい。しかし、「…研究」とついていたら、知識の羅列ではなく、自分なりに解釈して突っ込んで書いたほうが良いものが出来る  

 地球上の生き物の中で唯一考えることの出来る生物、人間。「人間は考える葦である」というパスカルの言葉を深く心に刻んで、物事を真正面から突き詰
めて考えることが、我々の心のもやもやを解消してくれるものとなるだろう。  

 
                                               
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