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想像力 イチゴ の広場
ひまわり あなつ 高1 子供は「ふしぎ」と思う事に対して、大人から教えてもらう事によって知識を吸収していくが、時に自分なりに「ふしぎ」なことに対して自分なりの説明を 考え付く時もある。子供が何故?と聞いたとき何故でしょね?と問い返すと、面白い答えが返って来る時もある。「その時その人が納得のいく答え」という のは結局「物語」になるのではないだろうか。外的な現象と心のなかに生じることが一つになって、物語に結晶している。私達は、ある現象を説明するため には人間の内的世界をかかわらないほうが正確になるということにきずいた。しかし神話を全く放棄すると世界との関係が無視されたことになる。   □私は子供の頃、恥ずかしいのだが、いつ、何故赤ちゃんがお母さんのお腹にできるのだろうなあと、ずっと不思議だった。母の友達との会話の中に「~~ ~~で、あの時、もう一人生まなきゃって思ったの~」とかいう言葉がでてきたりすると、「赤ちゃんは欲しいと思えば急にできるのかなあ~」と思った。 でも私の叔母には子供がいなかった。「なんで赤ちゃんいないの?」と聞いたら「なんでだろうね~?」と言われた。叔母は欲しがっていたのにいないのは おかしいとおもった。欲しいからできるというわけでもなさそうだなあ~。ということで、結局「きっと神様に欲しいですってお願いして、もらえるのだろ う。もらえない人は悪い人なのかな~。」ってな結論に達した。こんな事を、幼いころ一生懸命考えていたのだ。今考えれば、幼い頃だから納得できる内容 だ。いろいろ頭得を働かせて、こんな事まで想像していたのだ。   □他にも、サンタクロースだって、完璧信じ込んでいた。でも不思議だった。いつ来るんだろうと。来るまで起きていて確かめようとしたこともあった。し かし、ちゃんと寝ない子にはプレゼントくれないんだ、という考えてもいた。このような物語は、非常に面白いと思う。今ではこんなこと考えない。まず不 思議だなあと思うことは多くない。数学の公式を見て、何故こんな公式になるのだろうと考えたことはあるが、それはもうテキストに証明されているのだ。 しかし、私達はもっと「不思議」を見つけ出して、想像していかなければならないのだ。   □確かに現代の社会では、テクノロジーが示してるように説明が普遍的な話しとなっている。そのほうが社会はみるみる発展するだろう。しかし、想像力が 全体に失われている今だからこそ、神話をしんじたり、素朴な疑問を考えたりするべきなのだ。私は最近では、人は死んだら何処へいってどうなるのか、こ れを考えることがある。これはものすごく不思議で、この答えをしってるものはいない。だからこそ考える意味もあるようなきがする。      

 
                                             
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