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tudukerukoto アジサイ の広場
アツコ とれ 続けること   

                      矢崎温子
 

 家族という一つの枠の中には、各々が果たす些細な目に見えない役割や分担があって、それらはとても重要ではないかと私は考えている。社会の縮小でも
あり、帰る場所でもある家族の中での役割をしっかり果たすことがとても大切なことではないかと思う。それは例えば父親が父性を,母親が母性を示すこと である。  

 中でも、母親の役割は大きいのではないだろうか。最近では父親が食事を作ったり,育児に関わったりすることは珍しくなくなってきたが、これまで毎晩
食事は、母親が家族のために作っていてそれが当然のこととされていた。以前,ある料理家が「子供は親の料理を食べながら、親の愛情を食べている」のだ と言っているのを聞いた。古くから「お袋の味」というくらい、母親の作る愛情のこもった料理の味は、誰にとっても忘れられない、大切なものではないだ ろうか。  

 私の母は、ほぼ毎晩食事を作り続けてもう20年になるが、今では20分という短時間であっという間においしい煮物等を作ってしまう。私は最短でも一
時間は要する。20年恐るべしとはこのことかもしれない。母は、料理も好きだけど、皆が美味しいって言ってくれるのが嬉しいから作るのだと言う。人間 が必要とする三要素である衣食住の一つ、食は毎日のことだからこそ、とても重要だと思う。  

 今の若い人々は、コンビニエンスストアーのお弁当やファミリーレストラン、ファーストフードの味に慣れきってしまっている。それは値段が安いことや
すぐ買えることといった便利さからかもしれないが、そういったものばかりの食生活は少し省みる必要があるかも知れない。若い人々は一見楽しそうに見え る。しかし、その一方で沢山の若者が犯罪を起こしている。何かひずみが生じているように思うが、食生活が直接的な原因ではないにしても、体のエネルギ ーとなる大切な栄養である食、そして家族あるいは人と交わる場でもある食のあり方を私達は考えなおしてもいいかも知れない。食がショックな事件を引き 起こすかもしれないのだから。  

 もちろん母親が食事をつくることが全てではない。しかし、食事をきちんととり、それを維持すること、それが心と体の健康につながっていくと思う。小
さな事かもしれないが、食が私達にとってどれだけ重要なことかそれは計り知れない。私が唯一続けていることと言えば、食なのかも知れない。  

 
                                           
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