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自然
イチゴ の広場
エガ てせ 中1
 作曲に集中しているとき、不意に、音楽というものが、自分の知力や感覚で
は、捉えようもない(神秘的な)ものに思われることがある。自分なりに、音
楽が解ったような気がしていただけに、
そんな時、私は、戸惑いや 焦りの後の無力感に挫けそうになってしまう。私
は待つしかない。期待ということではなく、己を空白にして音が私に語りかけ
てくるまで待つ。音を弄って私の考えで縛ることから離れて、耳と心を全開に
する。作曲という仕事は、どうしても音を弄り過ぎて、その音が本来どこから
来たかというような痕跡までも消し去ってしまう。方法論だけに厳格になると
、ともすると音楽は紙の上だけの構築物になり空気の通わないものになる。イ
サム・ノグチは、『ある彫刻家の世界』と題された回想風の自伝の中で、自分
が求めているのは、自然の眼を通して自然を視ること、そして特別な尊敬の対
象としての人間を無視することだ、と述べている。
 
 私は自然と協力して謙虚になった方がいいと思う。第一の理由に、自然と協
力しないと味がないからだ。かんたんに言えばプラスチックのようなものだ。
それより、自然と協力し、一つの紙を作った方がよっぽどいいと思う。
 
 第二の理由に、自然のものは深みがあるからだ。人工的にインスタントラー
メンと、自然的なだしを使ったラーメンは、みなさんもどっちがおいしいかわ
かるであろう。インスタントラーメンとは、手ごろな価格でたべれるがあまり
おいしくない。ラーメンとは限らない。漬物だってそうだ。
 
 確かに、人工的なものは大切だが、自然の方がいい。自然とは、神なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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