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ゼネラリストスペシャリスト
アジサイ の広場
さやか あおべ 高2
 友達とごく普通の話をしていて、一人だけ意味が通じていない人がいる時、
ものすごくさみしい。しかし、友達が誰も知らないような専門的な話をしてい
る時、まったく通じないのも、またさみしい。なんでも広く浅い知識を持って
いる人と、狭く深い知識を持っている専門の人とどちらが良いだろうか。日本
ではなんでも広く浅い知識をもつような教育をしている。そのために欠点はと
ことん直していくのだ。狭く深くという専門家的な教育は、その分野しか知ら
ないので、他のことはまったく駄目である。その点、、一歩その分野から出て
しまった時、物事を知らないので危険な目に遭いがちである。しかし、なんで
も広く浅くという知識は欠点を直すだけで、個性を伸ばさずに、つぶしている
。つまり、どちらも偏りすぎていることは良くない。広い範囲のことを浅く知
っていながら、自分が一つ得意とするような専門知識を兼ね備えることが一番
よいのではないか。
 
 例えば、一般常識を知らない、専門分野だけを深く追求している人は、対人
関係が上手くいかないと思う。その分野の専門家とは話しが通じるし、とても
楽しいかもしれないけれど、これが少しでも分野が違う人とだと話がうまく運
ばないし、相手も自分もつまらない。限られた人間としか関係を持てないとい
うのはさみしいことだと思う。その点、色んなことを浅くでも知っている人は
、いろんなタイプの人と上手く対人関係が作れる。
 
 しかし、なんでも広く浅くしか物事を知らない人は、他人と比べて、ここ、
というような自分の個性がない。今まで、日本の教育は一般常識がわかるよう
な人間になるように、子供を育ててきた。しかし、今、現実はどうだろうか。
昔そういう教育をされてきたたくさんの大人が、「この程度の仕事なら、だれ
でも出来るから。」という理由でリストラされてしまったではないか。もしも
、「これは、他人には出来ない。」というような専門的な知識や技術を身に付
けていたならば、周りの環境がどう変化しても、生き抜いていくことが出来る
のだ。
 
 確かに、広く浅く物事を知りならがも、一つ専門知識を身に付けるというこ
とは難しい。「二兎追う者は一兎も得ず。」ということわざがあるように、ど
っちも中途半端で終わってしまうかもしれない。しかし、「狭き門より入れ。
滅びに至る門は大きその道は広くこれより入る者は多し。」という言葉がある
ように、一般的な常識を身に付けながら、これが自分の個性だと言えるような
ものを身に付けるという難しい道を頑張っていけば、自分の人生はより良くな
っていくのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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