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ヤドカリの行方
アジサイ の広場
眠雨 うき 高1
 今日、東西の教育体系の差異として、「苦手」に対する認識の違いが注目さ
れている。米国社会では長所を伸ばそうとし、日本社会では短所を無くそうと
する傾向がある。日本特有の西欧コンプレックスにより、国内では個性重視の
社会にしようという意見が強い。だが、そうした方法にもまた長所と短所があ
ることを我々は把握し、盲目的に西欧に倣うのでなく、時代に適応した我々自
身の歩みを見つけていくのが大切である。
 
 アメリカ型の社会では、長所への極端な傾倒が効率の良い方法とされてきた
。自分の得意な部分を徹底的に伸ばし、それ以外の部分は切り捨て、切り捨て
た部分が得意な人間に補ってもらう。結果として所謂「専門バカ」の量産を産
み、アメリカは発展した。また日本型の社会では、短所を埋めていくことに重
点が置かれた。極端な人間は嫌われ、オールマイティに何事もそつなくこなす
ことが美徳であるとされた。そうして多面的な状況で努力できる「器用貧乏」
が現れ、日本も発展した。ここで注目すべきは、アメリカの先進的な発展と比
べると、日本の発展はやや後手に回った感があるということだ。天才によって
無数に進歩が先走るアメリカに比べ、何事にも突出した人間を生みにくい日本
では、生産にスパンをかけることには向いていても、自ら何かを生み出すには
どうしても容量が狭すぎたのだ。つまり器用貧乏の集る日本型教育の欠点は、
突出した成功を生みにくいことである。日本的なこの特徴は、これからの社会
にはどうしても力不足の感がある。しかし、この力もまたいつかは有用になる
ということを念頭においておくべきである。
 
 対してアメリカの欠点は、限定された状況下においては非常に効率のいい仕
事を行なうものの、情勢が変化して専門バカの専門分野が用済みになれば、も
うそこで行き詰まってしまうことがあげられる。「それしかできない」故に「
それがいらない」状況に非常に弱いのだ。これからの社会で必要とされるのは
このアメリカ的な動力であろうが、どことなく太古の恐竜の歴史を彷彿とさせ
るこの特徴は、よく把握しておく必要があるだろう。武器は間合いを知らねば
使えない。ライフルで白兵戦はできないし、刀で狙撃はできないのだ。私は滅
多に漫画を読まないが、二つだけよく読む漫画がある。その一つである「ジョ
ジョの奇妙な冒険」では、主人公と敵は皆「スタンド」と呼ばれる超常能力を
有している。面白いことにこの能力はある側面では強力ながら、それに釣り合
うように別の側面が非常に弱い。そうした相性を考慮した上で、策を弄して自
分の得意分野に上手く持ち込んだ方が優位に立てるのだ。このかたちは、長所
のうまい利用の仕方の参考にもなると思う。
 
 整理しよう。これからの社会はアメリカ型の能力が必要とされているが、そ
れは変化に弱い。つまり我々は、社会の情勢に応じて必要とされている能力の
形を見極め、適応してくことが大切なのだ。大戦直後の工業型社会では、日本
の持つ能力こそが必要なものだった。「脱皮できない蛇は滅びる」というが、
この問題に限って言うならば脱皮と言うよりも「貝を選べぬヤドカリは滅びる
」というところか。時代に応じて我々は、個性偏重か短所補完かを見極めてい
くべきなのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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