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ニュートンが集大成したような
アジサイ の広場
武照 あよ 高3
 双頭の蛇を写真で見たことがある人は多かろう。そこで聞きたいのだが、彼
(彼ら)は一匹だろうか、それとも二匹だろうか。チョウチンアンコウの雄は
、巨大な雌の後部に寄生して生きている。驚いたことに、彼の体皮は雌の体皮
に取り込まれている。彼女(彼女ら)は一匹だろうか、それとも二匹であろう
か。(「ゴジラ」にでてくるキングギドラハは首が三本で胴が一つで、尻尾は
二本だ。)あなたは頭の数が、個体の数だと主張するかもしれぬ。しかし果た
してそれは正しいのであろうか。彼らは間違いなく一個体の体しか持っていな
いのだ。
 
 ここに現在の分析主義の問題点を見ることが出来る。「個体」という概念は
自然科学が、分析の最小単位を認識するために名づけたものだ。しかし、自然
は分析しきれるものであったのであろうか。個体は、ある時連続でもあること
を我々は前の例から知ることが出来る。現在の欧米の資本主義は、分析主義を
基盤としているのであるが、これは同時に双頭ノ蛇とまったく同様の問題点を
内包していることを意味している。欧米の資本主義は、「会社」という全体と
「労働者」である個人を分離し、その個人個人の契約によって纏め上げようと
してのである。それゆえ、個人は、別の個人によって代用し得るという社会が
出来上がった。しかしこれは、労働者と会社は不可分の関係があり、部分が変
われば全体も変わるという、会社と個人の連続性という視点を欠いた社会であ
ったことも否定できまい。
 
 そういう意味で、戦後の日本の資本主義は、「連続性」がよく生きていたと
言えるであろう。日本が高度経済成長を乗り切った背景に、労働者の会社の帰
属意識を挙げるものは多い。「連続性」と言う意味において、終身雇用制とエ
レベータ式の昇格制度は表裏一体のことであったと言えるであろう。しかし、
現在、「競争社会」「能力主義」の名の下に、社会はこの連続性が失われる方
向に進んでいることは間違いない。しかし、それによって失われるものは非常
に大きいと言わねばならないだろう。
 
 日本で、競争社会や能力主義が急速に取り入れられている背景は何なのであ
ろうか。一つには、国際化に伴って国内に他国からの企業が参入してきたと言
うことがある。「終身雇用制」のようなシステムは、確かに古い制度を引き摺
り安と言う意味で弱いシステムであった。その結果、日本のこれまでのシステ
ムは全て駄目だ、だから欧米通りのやり方を真似なければ、と焦っているのが
現在の状況である。
 
 しかし、私が言いたいのは、国際化に伴って会社の連続性を捨てることはは
たして得策かと言うことなのである。
 
 宮崎駿は優れた漫画家であるが、それ以上に優れた指導者であると言うこと
は注目に値する。大ヒットアニメ「もののけ姫」に関する対談の中で、宮崎氏
は「当初、エボシ御前(製鉄村の主)は男にするつもりだったんですよ。で、
スタッフに相談したら、やっぱり美しい女性の方がいいということになって(
笑)。」と言っていたが、アニメ制作が共同作業であり、労働者と製作者は切
っても切れない関係にあることをよく示しているであろう。作品の構想は全て
自ら考え、事細かにアニメーターに注文を付けた、手塚治虫率いる虫プロが倒
産したことは象徴的である。大まかなプロットのみを下地に、個々のアニメー
ターが映画を製作するスタジオジブリのように、連続性を保ちながらも、会社
を活性化させることがこれからの日本の展望となるべきであろう。
 
 人の体は多くの細胞で出来ているが、細胞は元々数種の微生物が共存すると
ころから始まったと言われる。そう思うと「個体とはなんぞや」という疑問が
また思い出される。しかし、それらの細胞が関連し合い、共存して始めて我々
は生き生きと暮らすことが出来るのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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