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国の文化「日本語」
イチゴ の広場
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 僕は、国の言葉などは文化だと思うので、むやみに変えるのはやめたほうが
いいと思う。外国人が日本語を学びにくい理由は、敬語だ。敬語は、日本の大
人でさえもわからなくなってしまうものだ。僕は、この間担任の先生から、「
崩御」(ほうぎょ)という言葉を聞いた。天皇陛下などがなくなった時に使わ
れる言葉だそうだ。普通の人がなくなった時に、崩御という言葉はなかなか使
わない。これを外国人が言うのは難しそうだ。その他にも、外国人が話す時に
難しそうなのは、自分の場合は食べるでも、相手が食べる場合には「召し上が
る」。この辺の区別もつかなそうだ。
 
 敬語ではないが、外国の言葉は最後まで聞かなくても、大体分かるものが多
い。しかし日本語の場合には、最後によって言葉の意味が変わるのだ。
 
 「アイ(わたしは)ライク(好き)バスケットボール(バスケットボール)
 
 これは、日本語で言うと、「私はバスケットボールが好きです」と言う意味
だ。「好き」という言葉が先に出てきているので、すきか嫌いかがすぐ分かる
。ところが日本語の場合だと、「好きです」と言う言葉が最後に出てきている
ため、最後を聞かないとバスケットボールがどうしたのかわからない。日本語
には、こういった点があるのだ。
 
 言葉というものは国の文化を表していて、まるで芸術のようである。外国人
は、日本語を学ぶのは難しい。しかし、無理に日本語を変えようとすると、「
角を矯めて牛を殺す」になり兼ねない。日本独特の部族言語が、国際普及を行
ったことで消えていってしまうかもしれない。人間にとって、母国語と言うの
は国の文化であり、いつまでも大切にしていきたいものだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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