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スイマーよ!(その2)
アジサイ の広場
眠雨 うき 高1
 現代において、時間は流れ、そして人は流される。溺れかけながらも沈む恐
怖に押され、弱々しく水をかき、けれど抗うだけの力はなく。では何がその力
を奪ってしまったのかといえば、それは強く速すぎる時間の流れである。我々
が再び激流の中で身を起こすには、どうすればいいのだろうか。
 
 その方法としては、第一に『息継ぎ』の時間をもつことが挙げられる。これ
は趣味とも呼ばれるし、或いは嗜好品とも呼ばれる。とにかく、毎日が目まぐ
るしく過ぎ去る中での、ほっと息をつく時間である。勉強をして予習をして復
習をして、疲れて寝てしまう現代の生活から、羽ばたかせてくれるつかの間の
悦楽。尤もこれは現代に生きている人の誰もが感じていることのようで、実践
している人間も意外に多い。作詩、料理、読書、洗濯。その中でやっと、我々
は流されない自分だけの時間を手に入れる。身近な例では、学校の部活動も、
そういった息抜きのために用意されていると言っても過言ではないだろう。コ
ンピュータをいじったり体を動かしたり、ほんの束の間でも厳しい受験やペー
スの速い勉強を忘れさせてくれる。そうして我々は、流れ押しつぶされぬよう
水面から顔を出す。
 
 第二には、さらにその『息継ぎ』を発展させ、より納得できる方向へと泳ぐ
ことである。自分のやりたいことをはっきりさせ、それを以って生きる。最近
の学校教育は、どうも将来性の拡大にばかり目がいって、生徒が本当に学びた
いものも、生徒が進みたい道から外れたものも、全て一定の割合で教えようと
する。それによって学ぶ事柄が増え、同時に必要のない事柄も増大した。役割
の分担性は薄れ、結局広く浅く学んだが故に無難な就職へ流れる道が増えた。
溺れないための息継ぎの中で、やがて自分の中に衝動が芽生える。それを否定
せず、その目指す方向へと水をかくことが必要だ。ヘッセの「車輪の下」では
、主人公は息継ぎのないままに勉強へと流されていった。そして戯れに戯れた
ことにより世界を見つけ、やがて死んでしまうわけだが、この風景は現代のあ
る種異様な流れていく時間、流されていく社会全体を象徴しているようにも思
う。
 
 勉強をしなければ社会で使い物にならないし、そもそも人間は流れることに
よって社会に奉仕しているのだという声もあるだろう。確かに、文学を志す人
間にとっては意味のないように見える数学も、理論的な考え方を未につけると
いうことでは必要だし、企業に就職した際に計算力が必要になることもあるだ
ろう。しかし、それでも無駄になるものも圧倒的に多いはずだ。何が無駄にな
るのかはわからないかもしれないが、それを理由にして確実にプラスになるこ
とまで削るのはナンセンスである。もし何か必要になったことがあったとして
も必要に応じてそれを学べばいいのだ。B’zの言う「知らないことを学ぶ根性
」という奴である。もっと若いうちから専門的な方向へ、息を継ぎながら。し
っかりと方角を定めて、スイマーは泳いでいくべきだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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