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裏切り者と表切り者(意味不明)
アジサイ の広場
AE86 えや 高1
 一つの集団は、一人の裏切者と、一人の犠牲者を生み出すことによって完成
される。私は、はじめにキリストがあって、そこに十二人が従ったという説を
、ほぼ信じない。ユダもキリストも、それぞれがそれぞれを含む「十三人目」
だったに違いないと、私は考えている。そして、何よりも、ユダが「裏切者」
して発明されることによってはじめて、キリストが「犠牲者」となり得たので
あろう。人間は、「神の時代」から「神と悪魔の対立時代」を経て、「裏切者
の時代」に至ったのだろう。
 
 私は「裏切者」がやがて発明されねばならないという予感を読み取れそうな
気がする。新約によれば、キリストは、彼を死刑にした外部勢力に対してより
も、ユダに対して緊張しあっているのだ。
 
 今の世の中は要約にも書いてあるようなことが、特にひどい時代だと思う。
例えば学校である。最近の学校問題であるイジメは、
 
 このような裏切り者と犠牲者によって成されていると思う。今まで話ていた
相手なのに、急に話さなくなったから裏切った。イジメちゃえ。えいっ。っと
いう具合ではないだろうか?
 
 しかし、「裏切り者と犠牲者がいて世の中が成り立っている」という考え方
も必要かもしれない。今の世の中はどこにいても絶対に裏切り者がいると言っ
ても過言ではないくらいの世の中だ。このような状況から、そのようなことを
無くすためにも、このような処置をとらなくてはならない。それは、本当の自
分を持つことだ。今の人は本当の自分を持ってない人が多すぎるのだ。だから
殺人事件やハイジャック等が起きるのである。人は生まれた時から「ワル」で
はないのだ。成長段階のある過程で曲がってしまうのだ。又、周りの環境に染
まりすぎるのだ。生まれた時の心が本当の自分なのだ。ということは、そのよ
うな心を持っていれば事件等はかなり減るハズだ。
 
 ある宗教団体では、最初のうちは活性が良かったものの、十年二十年するう
ちにだんだん活性がなくなってきてしまう。そこである人が「裏切り者がいる
」という情報(嘘の場合も...)を出したりしてみんなの好奇心(?)を掻
き立てるのだ。すると皆が活性を取り戻すというわけだ。
 
 ということは、確かに裏切り者や犠牲者いて当たり前だが、出来れば、いや
、極力そのような人を出さない方が良い。そのようにするためにも、やはり本
当の自分を持つことが大切なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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