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魏志倭人伝によると
アジサイ の広場
さやか あおべ 高2
 
 
 
 わたしたちは最近時間にとらわれて生活しているが、時、時間はわたしたち
の人生がそのうえに展開する座標ではなく、「もの」である。個人の時は決し
て一緒のものではない。
 
 確かに時間というものは人間ひとりひとり違っていて自由に自分らしく使っ
てあたりまえであるが、私たちは日ごろそんなことは忘れて時間に縛られて生
きている。その原因の一つに、現在の教育の在り方があると思う。私の通って
いた幼稚園はかなり自由であまり時間に束縛されることなく生活していたが、
他の幼稚園では「何時から平仮名の練習、一時間たったら算数のお勉強」とい
うように時間が決まっているところもあるようだ。そして小学校に入るとさら
に厳しく時間が区分され、体育の授業でドッチボールをしていて試合が少し長
引いても、チャイムが鳴ってしまえば終わりとなってしまう。学校のでの生活
じたいがチャイムによってわけられているのだ。私は小学校の頃から、遅刻魔
でまったく時間というものを守っていなかったし、当の学校も体育や図工の時
間がある日は時間割通りに進まなく、一日中体育だったりした。(唯一守られ
た時間は給食の時間ぐらいだった。)しかし、大体の学校が時計によって生活
が決められ、子供は自然と自分の時間を、時計を見て決めるようになる。大切
なことはいかに時間を使うかということではなく、いまのかけがえのない人生
を生きることである。
 
 また、技術の発達も、私たちが時間に縛られる原因の一つであると思う。昔
、服を一着作るのに何時間という決まった時間はなかった。つまり、人間の手
で行なわれることなので、必ずしも正確に出来ないとだれもが分かっていたの
だと思う。しかし、技術が発達したことにより、服一着を作る時間の単位はと
ても正確なものとなってきて、わたしたち人間もそれを求めることが可能とな
った。こうした発達によりわたしたちはより正確に時間を管理することができ
、してきたのだ。
 
 確かに、技術が発達したことは、悪いことではない。「夢があるから行動す
るのではなく、行動するから夢が生まれるのだ。」という言葉があるように、
人間はいろいろな行動や、発見によって目標をもってきちんと生活することが
出来るのかもしれない。しかし、時間に縛られていきるのではなく、今ある時
間、自分がいる時間というものをうまく使って生きていくことが人間の姿であ
ると思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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