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分析の限界
イチゴ の広場
あやの あしわ
 要素への還元であると言われる分析は、デカルトによって確立されて以来そ
の効力を余すところ無く発揮してきたが、その限界が見えてきたように思われ
る。分析は唯一独自な、又は刻一刻と変化をする物には対応出来ない。それ故
、一人として同じではない、しかも常に成長を続ける人間を科学的に分析する
ことは不可能であるはずだ。しかし今その人間の個性までも分析の対象にしよ
うという傾向が見られる。だが行き過ぎた分析や、的を外れた分析は、何の問
題の改善にも繋がらない。
 
 例えば西洋医学の思想は人間を科学的、部分的に分析することで治療のため
の糸口を見出そうとしてきた。しかし人間という大変複雑で未知なるものを、
今まで自然科学に置いて用いられてきた方法のみで研究するだけで決定的な対
処法を見つけることが可能なのだろうか。
 
 ここで発想の転換が必要となる。人の身体を全体的に治癒しようという古く
も新しい逆の発想への転換だ。今、再びその東洋医学の有効性が注目され始め
てきた。私の友人は自律神経失調症と診断されて長期間精神神経科に通い、薬
を飲み続けても一向に改善に向かわなかったのだが、一度「お灸」を試みたと
ころ、その直後から目覚ましい回復を遂げた。そして私も東洋医学の思想に乗
っ取った整体に大変世話になり(ぎっくり腰で)、強く信頼を置いている一人
である。
 
 やはり人間の治療は全身体を対象とし総合的に行われることも不可欠である
と確信する。
 
 しかしこれまでの分析的科学を全面否定して、これを排除するべきだとは思
わない。分析という方法の確立は社会に多大な影響を与え、数々の人間の持つ
悩みや問題を解決してきた。これは全く間違った方法であったわけでは無いと
思う。むしろ、これから先も人々は分析的科学のもたらした成果に頼って行く
だろう。
 
 だが今後の私たちが重心を置いて進むべき方向として、人間科学に置いて人
を更に深く理解して行く上で総合的、全体的な視野が問われることに疑問はな
い。
 
 分析的、部分的な側面と、総合的、全体的な側面は常にデュアル(二面的)
であり、それらが共生してこそ双方の真の効力が発揮されるのではないか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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