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自分に挑むこと
イチゴ の広場
あおき 高2
私達は一生の中で一体どれくらいの挑戦をするのだろうか…?
 
 私はふと過去16年間の自分の挑戦を振り返ってみた。運動会の為に走る練習
をし、一等をとった事、文化祭の食品部門においての会計を初めて努めた時の
こと。。。。様々な記憶が鮮明に蘇ってきた。しかし、今までの挑戦の記憶の
殆どは失敗した苦い記憶ではなく、挑戦した後にやってきた達成感の記憶であ
り、そしてその挑戦は自分の中で大きな出来事として、保たれていた。
 
 百数十年前、ある男が大風で壊れた約百八十メートルの塀を、自分なら三日
で修復すると言い張った。かの有名な秀吉である。
二十日位の日数で直すと言っている信長に対して、秀吉が失敗した時の自分の
命さえ省みずにこの様な無謀な事を言ったのは全て、彼自信のこれからの未来
に対する挑戦であった。事実、これを機に彼は次々と出世していく。この様に
昔は、「生きる」か「死ぬ」かの生死をかけ、戦いを挑んでいた。それは、今
も同じである。そもそも挑戦とは自分に戦いを挑み、幾多の苦難を乗り越える
事であるからだ。もちろん、失敗する時もある。しかし、私が挑戦と聞いて思
いついたのはやはり前者に述べた達成感の記憶であり、秀吉などのように成功
 
 我々は、挑戦=成功、若しくは大きな物というレッテルを貼ってはいないだ
ろうか?少なくとも私はそうだ。私は無意識的にこの様な例をだしたが、無意
識であったからこそ、挑戦=成功というイメージが強いのかもしれない…と思
うのだ。ここまで考えが達した時点でもう一度挑戦について考えてみる。する
と、全てが挑戦に思えてきた。学校で緊張しながらも手を挙げた時の事、決め
たスケジュールをこなそうとした事。いずれも小さな事ではあるが、立派な挑
戦であると思う。
 
 挑戦とは、ハードルにぶつかっていくことである。そして、自然と出来た壁
や、自分で決めたハードルを乗り越えようとする意思である。虎穴に入らずん
ば虎子を得ず、と言われているように、挑戦をしなければ結果が得られない。
我々は少しでも良い結果を残すために高いハードルを飛び越え、挑戦しつづけ
るのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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