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<font

color="green">●</font>「ふしぎ」といえば
エンジュ の広場
優里 あまこ 中2
 「ふしぎ」といえば「私」とは何ものか、それが人間にとってもっとも根本
的な「ふしぎ」のようである。児童文学の名作の主人公に十歳前後の子が多い
のは、比較的はっきりとした疑問が生じる歳であること。また、児童文学の優
れている点として子供の澄んだ五感で捉えた世界が語られているということが
あげられる。自分の人生を豊かで、意味のあるものとするために、われわれは
いろいろな「ふしぎ」についての物語を知っておくことが役立つのではなかろ
うか。
 
 「私」という人間がこの世に存在していることのふしぎさは、今まであまり
深く考えたことがなかった。それは考えていると意味が分からなくなるので今
まで考えたことがないだけなのだが・・・。よくよく考えてみると自分がこの
世に存在していることの不思議さは、<自分は願ってもいないのに知らぬ間に
この世にいた>ということから始まってると思える。あまりこういうことを考
えずに成長したので、私は自分の存在の大切さをあまり理解していなかったよ
うに思う。
 
 では自分の存在の大切さを感じるのはどんなときだろうか。私は自分の大切
さを<友達に頼りにされた時>に感じることがある。そんなとき、自分は頼り
にされてるな、自分の存在って大切だなと思える。
 
 しかし人間とは、他人との比較によって自分の存在を確かめることもできる
。それは、今度の定期テストで誰々には勝とうなどということである。だが誰
かに勝つというだけの目標よりも、自分の中でこんな点を取ろうと考えた方の
がいいかもしれない。誰かに勝つという目標がいけないということではなく、
<誰か>の成績だってテストの度に変わるものなので、その<誰か>の取って
いるぐらいの点数を目標にしてみたらどうだろうか。そうするとあまり他人と
比較せずにすむ。(私は面倒なのでそんなのやったことがないが・・・)
 
 自分の存在を確かめる方法には2通りあるが、私にとってはどちらも大切に
思える。どちらも<自分の存在を確かめることができる>という点では同じで
ある。あとは自分が自覚していることと、他人と比べたときのこととの違いだ
けであって根本的には同じである。
 
 人には<個性>というものがある。気が強い子、弱い子。積極的な子、消極
的な子。いろんな子がいるが、それぞれいいところがある。これからはその子
の悪いところだけに目を向けず、いろんなところに目を向けていけるといいな
と思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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