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コイン
アジサイ の広場
潤之介 かな 中1
 ふだん私たちは、コインを丸いものと見なしている。もちろん、「丸い」と
か「玉」と言っても、それは決してビー玉のような球形ではなく、つまり、正
確には円盤形のことだと、誰でも承知しているけれども、もちろんコインは、
年じゅう円形に見えるわけではない。水平方向から眺めれば、あきらかに、薄
い長方形に見えるはずだ。こういった表現は、ヨーロッパに古くから伝えられ
た、たくみに表現する技術体系であるレトリックと深い関係にある。レトリッ
クは、私たちの認識と言語表現の避けがたい一面性を自覚し、それゆえに、も
っと別の視点に立てばもっと別の展望がありうるのではないか…と探求する努
力のことでもある。
 
 私は、レトリック感覚は大切だと思う。その理由は二つある。その一つは多
面的に見たほうが一面的に見るより色々なことがわかるということだ。正面か
ら見ると阿呆に見える人も、横から見るとまじめに見えたり、真上から見ると
少しハゲてたり(余計)など色々あるが、もちろんこの逆もある。私の友達に
渡辺一喜という奴がいるが、真正面から見ると変で、横から見ると変で、真上
から見ると変という、変、変、変、と変が三拍子そろっているとてつもなく変
な奴である(笑)。上のコインの話のように「コインは長方形だ」と見る人は
、ほとんどいないと思う。実際データをつくって調べてみたところ、コインは
長方形だと考える人は、質問した人すべてである。私は「それもあっているけ
ど、真横から見ると長方形だよ」と言ったら、質問した人は、「なんだ、当た
り前じゃん」と言ったが、それをコロンブスの卵と言うのである。このように
レトリック感覚を持っていると今まで変だった人がまじめに見えたり、もっと
変に見えたり、コインが長方形に見えたりするのである。つまり人の隠れた部
分までたまに見えるのである。このような事からもレトリック感覚は大切だと
思う。
 
 もう一つの理由は、一面的に見ると、その人のある一定の事しか見えないか
らである。たとえばその人の性格なども一面的に見ると「優しい」などだけで
終わってしまったりするからである。その結果相手の気持ちが理解できなかっ
たりすることもよくあるのだ。一面的に見ると、「コインは丸いけど長方形で
もある。」という考えは、持たなくなって、「コインは丸い。」とか、「コイ
ンは長方形。」と言った別々の考えしか持てなくなってしまう(後者の考えは
ほとんどないと思うが・・・・)。頭のいい人は頭がよくて、頭の悪い人は頭
が悪い。そんな考えしか持てなくなってしまうから、物事は一面的に見ない方
がいいと思う。
 
 確かに一面的に見るのも、わかりやすくはある。しかし一面的ではなくて、
多面的に見たほうが、物事の真実がわかってよいと思う。「雑草とは、まだ、
その美点が発見されてない植物である。」という名言があるが、この雑草も多
面的に見ることができれば、美しく感じられるかもしれない。多面的に見るの
は簡単なようで難しい。だから色々なものを色々な角度から見る目を持つこと
が、物事を多面的に見るために必要な要素だと、私は思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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