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「挑戦」それは...何だろう...?
アジサイの広場
AE86えや高1
 「挑戦」それは今の日本において、一番欠けているコトだろう。なぜか、日
本という国は「真似」が多い気がするのだ。以前、「国際化」について書いた
時にも書いたが、「国際化」とは、「アメリカ化」と同じような意味なのであ
る。現に、今の日本は欧米文化がかなり入ってきている。「真似」を悪いコト
だとは言わない。しかし、日本も真似ばかりでは成り立たないでしょ? 日本
もそろそろ「挑戦」というコトに「挑戦」してみてはどうだろう。でないと滅
びてしまう(カモ...)。
 
 私は「挑戦」という言葉は嫌いではない。「挑戦しない人間は人間ではない
」と言っても過言ではないのだ。そう、人間は生きているうちに何度も「挑戦
」をするのだ。「受験」だったり「就職」だったり、人によって多少の違いは
生じるが「大きな挑戦」と言ったらその二つが挙げられるだろう。私にとって
の「大きな挑戦」は受験だった。これをした事によって、私はこれからの人生
のとても良い勉強になった。又、それと同時に、私の心や考え方をもう一回り
大きくしてくれた。
 
 中学校での最後の思い出となった文化祭でも、私は勇気を持ってできればや
りたくなかったステージ上で役を演じる事に決めた。その為か、その文化祭で
の思い出が未だに思い出される。って言うか、セリフまで覚えてる。私はその
「挑戦」で新たに分ったことがあった。「失敗を恐れていたら『挑戦』なんて
出来る訳が無い」ということだ。今の人は「失敗」を恐れるから「新たな挑戦
」が出来ないのだ。このような世の中を変えていくためにも、現在の学校教育
を変えていくべきである。現在の日本の学校教育は「苦手な教科を克服する」
といった傾向だが、これからは「得意な教科を伸ばしていく」といった方向に
したほうがいいだろう。なぜなら、「苦手なものを努力する」=「失敗も沢山
ある」ということなので、ここで「がんばれる人」と「挫折する人」に別れて
しまうのだ。だがその逆に、「好きこそものの上手なれ」という言葉があるよ
うに、「得意な教科を伸ばす」=「面白いからドンドン勉強する」ので、分ら
ない事はドンドン調べるのだ。これによって自然に「挑戦」する事の意味が分
かり、これからの日本社会は「挑戦」することが多くなるのだ(上手くいくか
なぁ...?)。実際に私はそのようなコトで身に付けた知識がある。(勉強
には関係ない)それは、クルマに関する知識である。最近は新たな世界にのめ
り込んでしまい、エンジン形式や構造、それに音までにも興味を深めてしまっ
たのだ。(ここ一年ほど)
 
 だが、時として「挑戦」は危険を伴ってしまうこともあるので注意したい。
やはり日本という国は平和なので、そのことを恐れて「新たな挑戦」が出来な
いのかもしれない。
 
 「夢があるから行動するのではなく、行動するから夢が生まれるのである」
夢を捨ててしまったら人間は人間でなくなるのだ。人は夢があるから明日への
希望を持ち、朝を迎えられるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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