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マスコミの意味
アジサイ の広場
由樹子 あるさ 高2
 最近、日本のマスコミの事実ではない記事や、個人のプライバシーを害する
ような行動が社会でも問題になっている。先日の皇室の雅子さまの妊娠報道も
、マスコミの出過ぎた行動によって、結果的にご本人に深い心の傷をあたえて
しまうことになってしまった。
 
 確かに、日本という国は、世界でも数少ない「言論の自由」が保障されてい
る国である。しかし、それだからといって、個人の生活や,他人の心を傷つけ
てはいけないというのは、人間として当たり前のことだ。しかし、その当たり
前の事が、あまりにも多く害されている。
 
 例えば、芸能界では、テレビの視聴率をあげるために事実かどうかはっきり
しない記事までとりあげて、おもしろ半分に報道しているし、大きな刑事事件
でも未成年の犯人のプライバシーは守られているのに、被害者に関しては写真
まで載ってしまうこともしばしばある。このことから言うと、マスコミは法律
に触れなければいいと思っていて、法律をうまく利用しているみたいだ。
 
 このように、マスコミは「言論の自由」を大きく取り違えていて、いわゆる
庶民ではない人々の生活に深く入り込み、それをおもしろがって庶民に伝えて
いる。つまり、もっとマスコミはモラルをもつべきである。
 
 その方法としては、まず第一に「報道」というものが、何のためにあるのか
、またどんな意味を持っているのかということをもう一度深く考え直し、その
記事が事実であると、はっきり分かってから世間に伝える必要がある。事実で
ない記事を流せば、それを世間の人々は信じてしまうわけだから、最終的には
世の中の信頼を失うことになってしまう。そうなったら、もうマスコミはただ
のヤジウマとなってしまい、本来の役割を果たさなくなってしまうだろう。
 
 第二には、報道の力をもっと考えるべきである。例えば、マスコミに「その
事件はこいつが犯人だ」と言われれば、たとえそれが、マスコミ関係者の少数
の意見だとしても、それがテレビなどで報道されてしまえば、あたかも社会全
体の意見になってしまう。その報道のせいで人生が大きく狂ってしまう人も何
人かいる。そのような力を知ったうえで、記事を作るべきである。
 
 確かに、視聴者にとっては芸能界の有名なタレントのことが話題になれば、
それだけ話題も増えるしテレビを見る楽しみができる。しかし、「世間の口に
戸は立てられぬ。」という言葉のように、一度その噂が流れれば、たちまちそ
れがあたかも事実のように人から人へと伝えられ、それが世の中の意見となっ
てしまうのだ。このことを深く考えれば、あんな報道の仕方はできないであろ
う。マスコミ側の人間はもちろんのこと、それを受ける側の人間も「報道」の
本来の意味を考えるべきだと私は思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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